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現地の言語を話せない人材をひとりクラスに投入すると

まもなく王立プノンペン大学のMaster of Development Studies (MDS) 2年目の前期が終わろうとしています。今期は後半戦がずっとオンラインクラスで、オンラインのまま終わってしまいそうな気配。ということろで、2つのクラスで教授やクラスメイトと対面できました。久しぶりの生教授、生クラスメイトに感激。

対面する方が学習の浸透力が高い

カンボジア教育省・保健省、それから王立プノンペン大学が、マスターコースに対して、10人以下であれば対面の授業を許可してくれました。これは、かなりの進歩です! 早速、Environmental economics のクラスは、2グループに分かれて、ゼミ形式の授業を受ける運びとなりました。
ここで、問題がひとつ。
大学の教室は使えても、校内のバイク置き場は使えないという話。これはダメです。カンボジア人にとって(いや、わたしにとっても)バイクは生活必需品で足で、そして宝物。ガードマンさんの目がない場所には、決して止めることができないのが、この国です。あんた天才ねってくらいの巧妙な手口で、見事に持って行かれるから。

そこで、今回は、某ラウンジをお借りして、授業を受けました。2ヶ月ぶりの生の授業は、教授のコメント、アドバイスが体に染み込んでいくようで(脳に直接ならいいんですが)、とにかく浸透力が違うと感じました。この時期に学生をやったことをハズレくじみたいに思ったりしていましたが、滅多に経験できない実証実験となったと思えば、むしろツイテいると思っています。

わたしがいないグループはクメール語

さて、MDSはInternational コースなので、使用言語は英語です。しかし、実際同期の中で、クメール語を話さないのは、わたしだけ。なので、わたしがいないところではクメール語が飛び交うのが自然の流れ。
MDSの特徴として、最終課題がグループワークであることも多々あるので、自分だけができればいいということはなく、3,4人で協力して成果を出さなければなりません。
カンボジア人にとっては、母国語の方が理解力が高いということはよくわかります。だって、わたしも日本語の方がわかるもの。
案の定、2つに分かれた、一方のグループは、クメール語で質疑応答をしていました。しかし、こちらのグループは、わたしがいることで、終始英語を使わざるを得ません。わたしは、ここに罪悪感を感じていました。昨日だけでなく、この罪悪感は1年以上ずっと抱えていたもやもや。
昨日久しぶりに対面したので、その気持ちをクラスメイトに打ち明けてみました。

言ってくれたことは、たぶん本心

すると、クラスメイトたちが言ってくれました。
「Yuukaがいてくれるから、クメール語に逃げないで、英語で頑張れる」「ここはInternational コースなんだから、本来はYuukaがいてもいなくても英語を使うべきなんだよ」
「他の大学のマスターはついついクメール語使ってしまうって聞くけど、自分たちは一貫して英語で勉強できるこのコースを誇りに思っている」

わたしは、なんら悩むことも罪悪感も感じる必要はなかったんです。

とりあえず試験を通過しなければ、とりあえず落第しなければ、といった目先のことでなく、マスター修了後自分がどうなっていたいか、その後のキャリアはどうしたいか、そこまで考えている向上心がとても高い仲間たちが周りにいることを忘れて勝手に卑屈になっていました。

現地の言語を話さない人材は恥ではなく役に立つ

たとえば、海外に留学してもぜんぜん英語が上達しなかったー、と嘆くケースのほとんどは、日本人同士で過ごす時間がある環境の場合。日本で英会話教室に通っても、授業中はぜんぶ英語だとしでも、終わってみんなで飲みに言ったりしたらもちろんぜんぶ日本語ですよね。しかし、もしここに英語しか話せない人が一緒だったら?
カンボジア人にとってもそうで、クラスにクメール語を話せない人(つまりわたし)が投入されることで、いやおうなく、英語まみれの環境が整ってしまうんです。
あれ? わたし、役にたっているではないかー、ということになります。

昨日は授業の後、みんなでビリヤードをしました。カンボジアの某ラウンジでこんな遊びをしていても、ぜんぶ英語。
そういうことですね。

罪悪感が安心感に変わりました。

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