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浮遊する舞台(一人称)

 殴るようにして書いていた所為か、想定していたよりもずっと早くペンのインクが尽きてしまった。ただタイミングは良く、ちょうど次は一行空けるような切れ目だった。
 キャップも付けずその空になったペンだったものを原稿用紙の上に転がして、回転椅子を傾けて自分の右方に目をやる。そうやればこのせま苦しい部屋に似つかわしい小さな出窓からなんとか月が伺えた。
 夕暮れの日が射し込むときから執筆を開始して、気づけば部屋中が真っ暗だった。それでもこの暗さに順応したのか物々の細部まで判別はついた。だがこうやって無心に書いているときの弊害である肩凝りだけは未だ馴れることができずにいた。
 肩甲骨のあたりを意識して肩から腕を回してみる。勿論そんなものは気休めに過ぎないことは知っている。しかし気休めというのは存外馬鹿にできないものだということも、俺は知っている。
 俺はこうやってぐったりとした体勢でこの出窓から見る月が好きだった。勝手に慰められているからだ。これがほんとうに慰めとして成立しているのは、月の方に俺を慰めてやろうという気が無く、そして俺も慰めをアテにして月を見ている訳ではないからだろう。ただ存在するという慰めは最も効力が大きく、最も信用ができる。
 出窓のガラスを上へやり網戸も外して、煙草に火を点ける。ふうっと月に向かって吐くと、煙は外気に速やかに吸い込まれていった。
 月を眺めながら手慰みに点けた一本を削っていくうちに、反比例してなんだか外に出たいような気持ちが起ってくる。ずっとこの湿っぽい部屋にこもりきっていたからで、月はただのきっかけでしかないのかもしれないが。
 姿勢を正してからもう一度出窓を覗くと、下方には小さな公園があった。それはその小ささに不相応なほど外灯が多く明るかった。いつもは月光の障害だと邪険にしてなるべく視界に入らないようにしていた。
 フィルターぎりぎりまで吸って、書きながらいたずらに消費した吸い殻で山になった灰皿で完全に火種をつぶしてから、原稿用紙をわざとらしく横柄に閉じ、動きやすそうな服装に着替えた。どうしてその選択をしたのか、最中でさえ分からなかったが。
 家からすぐの公園に、俺は初めて入った。風は心なしか弱く感ぜられた。金木犀がぽつぽつと花を咲かせている。いつも通りすがるときには子どもらがいたりカップル(中には不倫理なものもあるだろうが)がいたりと、どうしても俺には不歓迎な気がしていた。孤独に縋って小説なんかを書いている、こと俺に対しては。
 けれど今の公園はいつもとは様子が違って感じられた。孤独なのだ。遊具たちは誰にも相手にされておらず、外灯は誰をも暗闇から救ってはいなかった。形骸、という言葉が一番ぴったりなように思えた。季節すらも存在しないような終末。
 俺は馬が合わないだろうと思っていたやつが急に心を開いてきたような感動を持ってしまった。それはつまり同族だから安心したように思えて、そんな分かり易い感情の推移が起った自分が情けなくて恥じた。少なくとも自分の小説では、登場人物にそんな心情は絶対に抱かせないのに。
 孤独は好い、とずっと思い込んできた。実際それは窮屈に比べるとずっと快かった。けれどそこに仲間ができて、その脅威を初めて認識した気がする。それぞれの孤独が存在していて、自分はそのうちの一つでしかないという、現実を。
 園内は大体ちょうど半分になっている。片方は遊具があり雑草があり、外灯はそこまで多くない。もう片方は遊具も草もなく、ただ砂があるばかりで、やたらと外灯に照らされていた。その明暗の差があまりにもはっきりとしているから、砂しかない方がどこか舞台の雰囲気を保っていた。
 二つの領域の間にあるベンチに腰かけて、部屋の中でと同じように月を見上げた。が、そのためにはもっと角度が必要で、顔をほぼ真上に向けなければならなかった。
 月は遠い。軽く手を伸ばしてみて触れられるようなことが絶対にないくらい遠い。絶対に触れられないから、焦がれてしまうものなのかもしれない。夢や憧れ、あるいは神なんかと月は同列なのだろう。届きっこないと知っているから、安心しているのかもしれないが。
 軽々と手を伸ばせないなと思い至って、俺は一つの――自分の大好きな――小説を想起した。
 ある男が砂浜をうろうろと不審に歩いているのを、ある日主人公が発見し、聞くと海の向こうの月に向かっているのだが、何度も溺れかけて失敗している、ということだった。だがその男はついにその浜辺から姿を消す。男は海の向こうに浮かぶ月への昇天を果たした、という話だ。
 俺も月に向かって死にたいと、それを読んで思った。しかし月は今、俺の真上にある。しかもいびつに欠けている。しかも周囲の人工発光物のせいで霞んでいる。
 歩くのは物理的に不可能で、飛べたとしても身体の一部が焼かれる(俺にとって月は太陽と同じくらい大きい存在だから)だけだと知っていた。
 踊ろう。俺は歩行と飛行の中間を考えた結果、踊ることを据えた。多分、目の前の舞台を俺一人のものにしたかったこともあるのかもしれない。自分をおそろしいとさえ思った。もしかするとこの動きやすい服装もこれを見越していたのかもしれない。なんて、まるで都合の良すぎる三文小説のようにするすると事象を結合させていった。現実なんて、見なければ意味が無いから。
 見上げすぎて痛みを訴えはじめた首を戻して、ベンチから立ち上がり舞台の中心へと向かった。現実逃避だと、底では分かっていた。日々、年々募っていく焦りは、誤魔化しても誤魔化しきれない。だからこそ、現実逃避を現実逃避だと分かった上でやるのだ。そこに意味はない。根本的解決にならないと知っていて縋ることの虚しさを、誰が理解できよう。しかしこの潔さは、年の功でもあるかもしれない。
 ステージの中心に立つ。向こうの遊具の側を見やると逆光でほとんど視えなくて、改めて自分がこちら側なのだと意識する。客席など在って無いようなものだ。まさしく独壇場。
 集中するために、意識的に息を吸い込む。特別美味しくはない。これから踊るのだ、ということだけを考える。焦りさえ忘れなければいけない。こびりついているが、拭き取ってやらなくちゃいけない。
 視線はそのままに固定させて、ジャンプする。それも思いっきり。すると自分はこれほど高くまだ跳べたのかと思わず感動してしまうくらい跳べた。そして着地をして、そこから流れるように足――というより下半身――を動かす。ステップはおろかリズムですら分からない。だからこそなるべく不規則に、無秩序に、不気味なステップを続ける。客観的には愚かで仕方が無いだろう。だがいまこの時は、誰よりも自分本位でありたかった。
 馴れて来はじめる前に、次いで肩から先の腕や手、指を稼働させていく。理論や基礎がないのなら、なおさら中断できなかった。考えてはいけない。俺にあるのはただ身体を動かしたいという、ひどく原始的な欲求――あるいは衝動――のみだった。
 愉しい。まるで子どもがはしゃいでいるのと変わらないだろう。しかしこの感覚は初めてではなかった。その記憶が、沸騰して水が薬缶の先から溢れるみたいに、存在を強めてくる。
 それは俺が高三――つまり受験生だったときだ。そこそこの進学校に通っていたため、高二から既に受験勉強をさせられていて三年の夏頃にはすっかり倦んでしまっていた。とはいえ時期が時期なだけに遊びに付き合ってくれるような友人は一人として捕まえられず、ゲームというのも常時罪悪感に首の皮のところをつままれる気がしてどうにも振り切れずにいた。
 そこで何となしに手に取った小説――とくにこれといって読書が嫌いな訳ではなかった――を読みきり、これだと思った。つまり執筆だった。作文は嫌いだったから、かなり挑戦的なことに思えたが、実はそれとは結構違っているんじゃないか、とも思っていた。ただそれよりも、遊びやゲームのときに付きまとった罪悪感がなかったのがよかった。とにかく勉強とは距離が置きたかった。それに上手くいけば国語の成績が上がるだろうとか自分に言い訳していたに違いない。ほとんど変わらなかったが。
 読書量とか文章への意識とか語彙とか、挙げれば尽きないであろうくらい様々不安要素はあった。が、それは結局のところ杞憂で、ペンは止まらなかった。もちろんのめり込んだ。きっと俺が小説の基礎や知識をほとんど知らなかったからなのだろう。限りなく自由だった。マークシートの上なんかよりずっと活き活きとしていた。ちょうどいい塩分濃度――そう形容するのがぴったりだと思った。
 このときの感覚が、あたかもデジャヴュとして脳内に映し出された。何も知らない自由というものを、俺は再び、今度は身体中に感じ、受け容れていた。
 結果としては、あくまで当然に志望校に落ち、かといって浪人ですこしでも良いところを目指すよりも目先の執筆に心をすっかり奪われていた俺は、滑り止めに入学した。今さら後悔などしていないが、当時の傾きぶりにはつい苦笑いをしてしまう。
 ――などと身体のすべてをフルに動かしながら過去に思考を寄せていたせいか、外側に気づくための容量が不足していた。いやたまたますこし発見が遅れただけかもしれない。とにかく俺は、遊具を超えた公園のすぐ外からこちらを凝視している若い男の存在を発見した。風が吹いて不意に金木犀の香りが鼻に入った。
 俺は動くのを一遍に止めた。ひとつの疑念もなく、視られていた。こんな夜中に公園で踊る、いや狂い回る男が、不審でないはずがない。汗が隙を見出したかのように、そしてその隙を逃さないと躍起になって流れ出る。汗ってこんなに気持ちの悪いものだったっけか。息もずいぶん荒く音を立てている。
 若い男は俺が棒立ちになったのを確認したのか、それから園内に入ってきた。それも入口でないところから、俺から一度も視線を外さずに。俺は狂気を奪い取られたような気持ちになった。
 ついに彼は遊具をすり抜けて砂地まで踏み入った。そこで俺ははっとする。けれどそれは表面上ではひた隠した。
「撮らせてもらえませんか」
 彼は俺と二メートルくらいの、およそ会話には十分な距離で歩行を中止し、それとほぼ同時に発話した。
 撮る? 確かに彼はカメラを首から提げていた。しかし所謂「一眼レフ」というような何十万もするような代物でないことは、カメラについてほとんど無知な俺でも判った。
「撮るって、写真を?」
 あまりにも予測のつかない事態になっていたから――そもそも夜中に公園に来ること自体、今思えばなかなか考えられないのだから――、ただ会話の流れに沿わせただけの返事をしてしまった。これは明らかな敗北だ。それに俺の孤独も破られている。ただはっきりと理解できるのは、毛髪が吸いきれなかった汗が目に流れ込んで痛む、ということだった。
「いえ、動画――映画です」
「もしかしてさっきのか」
「はい。月光の下の孤高なダンスを」
 彼は毅然としている。軽薄な格好からは到底似合わない顔で、揺るぎない意志を感じさせる。一方揺らぎしかない俺はもうほとんど気圧されていた。孤高な、なんて言われただけで恥ずかしくて仕方がなかった。
「ダンスって、そんな――」
「ダメですか」
 きっと俺の狂いようがあまりに現実離れしているから、映画のどこかワンシーンに使えると思ったのだろう。正直体力は尽きかけていたし、そもそも独り善がりから発生したものだ。だが、
「わかった」
 と諾(ゆる)してしまった。映画を撮られたいと思った。行き場がないよりはあった方が、救いがあると思ったからだ。そしてその手の救いは存外馬鹿にできないということを、俺は知っていたから。

 撮ると決まってから彼はそのための準備に取りかかった。なかでもどこにカメラを据えるかに苦心しているようだった。光の具合とかカメラの動き方とかを考えているのだろう。対して俺は公園の傍の自販機でアクエリアスを買ってきて、またステージの中心付近で冷たいそれを傾けていた。何も考えなかった。いま俺が何か――つまり次はどんな風に足を動かそうとか、終わりはどうやろうかといった作戦じみたものを――考えるのは、きっと妨害になるに違いないと判断したからだ。身体と精神をすり合わせて、自然発生の欲求のままにする。無知な者は、内側に頼るしかない。
 五百ミリリットルを飲み干して空になったそれを最初に座っていたベンチに放る。しかし僅かに届かず、手前の地面で弾み、ベンチの下へと潜り入った。その無様さが自分らしくて安堵した。
 よし、と他人に聞かせる意志がまるでない彼の声を耳が掴む。大方整ったのだろう。彼の方を見る。すると彼の方も俺に目を合わせる。そして肯いた。
「お願いします」
 この一言ののち、俺は没頭しようとした。けれど何かが邪魔をする。さっきみたいにがむしゃらになれない。どこか体裁というか格好というか、そんなものを保とうとしている。そんなの直感的にダメだと分かっている。しかし排除できない。上手くやれていないと歯痒くて悔しくて、身体の動きも荒く粗暴になっていく。俺はきっとこの映像を見ていられないだろう。狂っても狂いきれず、墜ちても墜ちきれない。こんなものが俺の生き様なのだろうか。中断したくて堪らないのに、理性がそれを阻む。それがほんとうに理性なのかも怪しいところだが。
 とにかくひたすら身体を動かしてやろうと決めたとき、自分が拠っていることに気がついた。さっきの、一回目に。初見でないと記憶が悦楽を阻害する。同じことの繰り返しに過ぎないと、背けていた面を目の前に突きつけられる。現実は、やっぱり見ていなくても実存があるのだ。
 ではさっきとの繰り返しにならないように、というのもまた拠っている。忘れることなんてもはやできない。振り払うなんて以ての外で鬱陶しく影のようについて回る、記憶。比較との闘いだ。しかしそれも、今に始まったことではないのだ。俺は小説でも同じことをしている。そしてまだその決着は、ついていない。
 脚を歪ませ腕を伸ばし、腰を折る。汗はもう止まる気配がない。段々と視界も霞んでくる。単に体力がもう残っていないのだ。開演がそうだったように、終演もあっけなく突然訪れる。
 ふらついた足取りはごく自然に絡まり、バランスを失した身体は無残に倒れた。もう起き上がる体力もないように思えた。俺のダンスは、これで終わったのだ。
 ざりざりという足音からカメラが拠ってくるのが分かる。彼はこのシーンをどう括るのだろう。彼が俺を撮りたいと思った意図はどこに――。
「お疲れ様でした」
 彼の声が上から降ってくる。どうしてかすこし震えていた。
 終わってしまったと、俺は目を瞑る。汗は砂すらも取り込むだろう。諦めではない。汚れてしまってもいいと、決して否定的でなく受け容れられた。
 視界を閉ざしているから正確ではないが、彼は俺のすぐ傍まで寄って、座った。ジュッという音の後に、微かにバニラの匂いがした。俺も煙草を吸うためになんとか上体を起こして胡坐をかき、ズボンの左ポケットからしわくちゃのラッキー・ストライクを出した。
「とても良かったです」
 俺はジッポーで火を点けながら、彼を眼球だけで伺った。彼はほくほくとしていた。
「そうか」
 ありがとうございます、と彼はまるで感慨深そうに呟いた。
「腹、減ったなあ」
「あ、ギョーザ……買ってきますよ」
 この一言で俺の演技――実は初対面ではないが知らないフリをしておこうという――は無意味だったのだと知った。
 俺はギョーザと煙草と金麦を買いにしばしば近所のセブンイレブンを訪れていた。六四六円で、千円札で三五四円のお釣りだ。さっき彼の顔を認識してからそこの店員だとすぐに分かった。なんとなく実直そうだと、その働きぶりからほんとうは分かっていたのに。
「ああ、頼む」
 彼はやけに細く長い煙草を地面で押し消し、立ち上がった。銘柄を諳んじている訳ではないが、それは明らかに女性用のものだった。
 行ってきます、と彼は尻のあたりをはたいて、今度はちゃんとした正規の出口(入口)から出て行った。
 彼が見えなくなったのを確認して、もう一度身体を倒した。
 比較――。つまり過去の自分との決着は依然としてついていない。向上心の点から見れば以前を超えていくというのは素晴らしく立派なのかもしれない。しかしそれは何より独りよがりで孤独で、危うく自己欺瞞すれすれだ。それでも比較というのは必ず、自ずとやってくる。対象が他人でなく自分なだけに正当性がある。救いがなく、逃げられない。
 月は相変わらず遠い。俺が踊ったところで近づけも近づいてくれもしない。それは自然の摂理だから。
 こんなものなのだ。しかしだから好い。俺は彼が帰ってくるまでの間、書きかけの小説の続きを考えることにした。

今まで一度も頂いたことがありません。それほどのものではないということでしょう。それだけに、パイオニアというのは偉大です。