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キシダ新総裁就任におもう、「やっぱり自民党はだめなんだな」という諦め。

自由民主党第27第目総裁に岸田文雄氏が就任することが決まった。決選投票で現職閣僚の河野太郎氏を打ち破っての当選となった。

ただその勝ち方は疑問符をつけざるを得ないものである。というのも地方票や党員党友の票は河野氏が他に差をつけており、勝利の決定打となったのは同僚議員からの投票だったからだ。

今回総裁選に対しての自民党員・党友や一般有権者の総意は河野氏が総裁に選出されることとだった。それは各種の世論調査を見ればすぐに分かる。国民の間にはバブル崩壊後長いこと落ちる一方の日本社会に苛立ちや諦めのような重たいムードが漂い続けている。小泉政権のように一時的な「息継ぎ」もあったが、またすぐにズルズルとみなもの下へと引きずり込まれてしまう、そんなことをもう何十年と繰り返してきたわけである。

だがここに来てようやくその閉塞感を打破してくれる人物が現れたかもしれない、と国民は思った。それが河野太郎大臣だった。氏は日本の政治家にありがちだった協調タイプの政治家ではない。我は強いもののグイグイと物事を推し進め短期間で形にしてしまう、まごう方なき有能優秀な政治家であり、その働きぶりはマスコミなどを通じて報道され、政治無関心層の中でも有名である。

その有能政治家が宰相になるかもしれない。いやが上にも期待感がたかまる。各種世論調査を見ても次の衆院選での比例の投票先はほぼ半分が自民党という有様で、野党は全くと行っていいほど存在感がない。これは間違いなく改革派の河野内閣が成立するかもしれない、という有権者たちの強い支持の表れである。それほどまでに国民の河野氏に対する期待感は強かったのだ。小泉純一郎政権発足時と同等かそれ以上かもしれない。

だがしかし。残念ながら、総裁の椅子に座ったのは河野氏ではなかった。これには相当がっくり来た。同じ思いをしている人も多いことだろう。自民党の政治家たちは、世論や党員たちの思いを踏みにじだったのである。

これは「いつか来た道」である。2012年の年末、当時の安倍晋三総裁と石破茂氏が激しく総裁の椅子を争っていた。地方票は国民にうっすら人気のある石破氏がリードしていたが、結局は議員票という政治家の都合により安倍氏が55年体制移行初めて内閣総理大臣に返り咲いたのである。

だがその時は選挙の後の総裁選であり、今回とは順番が逆である。今年には遅くとも11月までには衆議院の総選挙が行われるのが確定している。なぜそのような重要な時期に、民意に反する総裁を選出するようなまねをしたのだろうか。衆議院選挙で有権者から復讐されるのが怖くないのだろうか?

もしかしたら自民党の上層部は今までの経験上、だいたい何をやっても有権者は自分についてくる。野党が不甲斐なく政権を失う心配がないので、国民などぞんざいにあつかってもついてくるに決まっている、などというふざけた態度をとっているのではないだろうか? あるいは自分たちの実力を過信しているとか。

私が見るに、現在の自民党という政党は18世紀フランスのベルサイユ宮殿に似ているようなところがあるように思う。ベルサイユの住人である国王夫妻および周りに侍る貴族たちは、日々外の世界からすれば馬鹿げているとしか言い切れないようなくだらないことに血道を上げていた。たまに外界で問題が起こっても、宮殿の中からは外の事情を詳しく知ることなどできないので「また庶民がなにかやらかしたのか」と無視するか、支援の手を差し伸べることが合っても量が少なかったり的はずれな支援だったりと民衆のニーズに全く合ってない支援とは言えないようなことをすることがある程度。

現在の自民党と国民の関係によく似ていないだろうか。国民は国王(総理総裁)や貴族(閣僚・党要職者)の代替わりを望んでおり、種々の改革を前へ強力に推し進めてもらいたいと思っている。しかし宮殿(官邸・自民党本有)では相変わらずアンシャンレジーム(昭和)の時代から変わらないくだらない権力闘争に明け暮れ、古ぼけた常識をもとにした役に立たない政策を立案し、それでよい、それさえやってくれば国民はついてくると半ばホンキで思っているのではないだろうか。

もしそんな認識で政治を行っているのであれば、その腐りきった考えに対してしっぺ返しを食らわせてやる必要がある。だが我々武器も持たぬ一般庶民にできることには限りがある。唯一効果があることといえば、投票所に足を運んで一票を投じることだろう。面倒臭がる人や仕事などを言い訳にして行かない人も多いだろうが、あなた方が選挙を忌避し政治への関与を避けている限り世の中悪くなることはあっても良くなることはない。

今回の総裁選に対して少しでも怒りを覚えられた方は、与党ではなくて野党に投票するべきではないだろうか。「野党は政権担当能力がないから信用できない」という人もいらっしゃるだろうから、そういう人は与党内でも比較的マシな議員、改革派の議員に投票するよう心がけるくらいはできると思う。

一票を入れるということは小さな一歩だが、これが積み重なれば文字通り国家社会を大きく変革させることもできる大きな力でもある。ぜひこのnoteを読んだ方も読まれていない方も、次の衆議院選挙、来年の参議院選挙、再来年の統一地方選挙くらいにはちゃんといって、しっかりと改革を進め世の中を良くしようと頑張っていそうな議員さんに力添えをすることをお願い申し上げたい。



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