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今後の選挙・政治・社会の予想について。

すでにご存じの方も多いと思うが、自民党の総裁には一番人気の河野氏ではなく岸田氏が就任することが決まった。

私は最近の日本政治を旧ソ連後期の政治とよく似ていると考えており、ソ連のブレジネフに当たるのは安倍、アンドロポフは菅、などといった具合に両国の似通った人物を対象させて物事を予想してきた。

だがアンドロポフの後をついだチェルネンコは任期が1年と非常に短い指導者である。安倍以降の日本政治は旧ソ連後期の政治を2~3倍の速さでなぞっていっていると思っていたので、もしかしたらチェルネンコ相当の人物は現れず、アンドロポフ(菅)からゴルバチョフ(河野)へ改革化のバトンがつながるのではないかと期待していた。

しかし歴史はチェルネンコ飛ばしを許してはくれないらしい。

安倍晋三……レオニード・ブレジネフ(確定)
菅義偉………ユーリ・アンドロポフ(確定)
岸田文雄……コンスタンティン・チェルネンコ(多分)
河野太郎……ミハイル・ゴルバチョフ(ほぼ確定)

安倍晋三は長期政権というだけでなく、モリカケや桜の問題など汚職まがいのことに手を染めたことや、外交・安保面で独自の解釈を加えたことなのがブレジネフにかぶる。アンドロポフは長らくブレジネフにKGB長官として仕えた人物だ。情報機関のトップとして自国の見るに堪えない惨状を見せつけられてきたことにより、改革を志すようになったと言われている。ブレジネフ亡きあと最高指導者になったはいいが、わずか2年で急逝してしまった。短命政権で前政権の側近というところが菅と似る。アンドロポフはゴルバチョフに後を継がせたかったらしいが、結果はブレジネフの「盟友」であったチェルネンコが書記長に就任する。これは岸田が安倍から支持を受けたのとかぶって見える(それだけというわけではないが)。だがこちらも1年で政権がおわり、真打ちのゴルバチョフが現れ、ソ連を改革そして解体に導いていくことになる。

自分は改革派の菅政権を支持してきた。その後継者で指名も受けた河野太郎はもっと支持していた。なので今回岸田が当選してしまったことは残念ではあるが、歴史のアナロジーがそのまま通用するのであれば、今後の展開もそう悪くはないのではないか、とも思う。

岸田は「新自由主義からの脱却」とか「令和の所得倍増」などという埃のかぶったフレーズをキャッチコピーに使っている。少なくともこれらの言葉から連想される限り、岸田は改革にはあまり前向きではなく「理想は未来ではなく在りし日に存在していた。それを取り戻す!」的な人物である可能性が高い。

だが理想郷があり得るとしたら科学の進歩した未来であり、過去にあるなどということは絶対にない。話の本筋からそれるので簡単に触れるのみにするが、犯罪の発生率や環境汚染、人間の粗野さなど、戦前、戦後まもない人間のモラルや社会環境は今よりも遥かに劣悪だった。食べ物もまずく値段も高く種類も少なかった。現代の水に馴染んだ人がその次代に生まれ変わってしまったらまず間違いなく耐えられないだろう。

無論岸田(や、安倍や高市)が「取り戻す」と主張しているのはあくまでも、過去に郷愁の念を抱えていそうな人たち(主に年寄り)向けのキャッチコピーなのかもしれないが、少なくとも未来志向の政策をとってくれそうな政治家ではなさそうである。自分の目にはそうみえる。

今国民(特に現役世代)が望んでいるのは、真の改革である。小手先だけのものではない。木に例えるなら余計な枝葉を切り落としたり、虫よけの消毒液を散布するだけの上っ面だけのことを望んでいるのではない。家の剥げた外装を塗り直したり、柱が曲がっているから真っ直ぐに流すだけとか、畳が毛羽立ってきたのではりかえるだけとか、そういう片手間レベルの改革ではない。周囲一帯の木という木を根っこから掘り返し、庭石や塀もすべて除去し、更地にしてしまい、そこに新しい家をそれも間取りも玄関の位置も何もかもを一新してしまう家を建てるレベルの大改革が求められている。

にもかかわらず、相変わらずベルサイユ宮殿の住人(別エントリー参照)である自民党の老人政治家・保守政治家(「守旧派政治屋」といったほうが適切だろう)は社会的文盲なので今までのやり方で問題ないとのたまっている。

もしこの国が変わらないままだったら、待ち構えているは真綿で首を締め付けられるかのようなジリ貧が数十年以上続く地獄である。自民党の政治は老人の老人による老人のための先送り政治である。年寄りは老い先短い。口では「子々孫々反映のために」などと言うが、その実自分が死んだあとのことなどどうでもいいのである。

麻生や安倍のような長老議員から支援を受け、過去に一度使われたフレーズを旗印にしている岸田が一体何をしようとするのか。ALWAYS 三丁目の夕日を現実世界で再現するつもりか。「日本を取り戻す」などのキャッチコピーは美化された幻想の過去に囚われている一部有権者には聞こえがいいかもしれないが、過去に戻って何がやりたいのか。老人の脳内にしか存在しない美化された過去をどうやってとりもどすのか。かりに過去の栄光が事実だったとしても、その栄華に包まれた日本取り戻すだけの能力がこの国にはすでに存在しないのではないのか。仮に取り戻せたとして本当に取り戻していいものなのか。私にはそうは思えないが。

愚痴と観念論が増えてきたのでこのあたりで仕切り直すと、ともかく私は岸田政権にはあまり期待していない。氏にできることといえば、戦後秩序をほんの数年延命するとかその程度だろう。抜本的な改革には期待できないし、そもそも彼の後ろ盾となっている老害政治屋がそれを許さないだろう。

岸田で選挙は勝てるのか。その後の展望は?

ここからは、これから起こることを私の予想と希望的観測を織り交ぜながら語っていくことにする。

新たな岸田政権がまっさきに対峙しなければならないこと。それは11月までには確実にある衆議院総選挙である。総裁選の前のデーターになるが、マスコミの調査によると比例での投票先が自民党が50%近くになっていたような記憶がある。

ここまでの高支持率には大きく分けて2つの理由がある。ひとつめは総裁選自体に対する注目の高さだ。直前まで総裁選再選を目指し活動していた菅総理が唐突に出馬辞退を発表した驚きも手伝って、世論とマスコミの関心が高まった。これが理由の1つ目である。

そして2つめは河野氏が総理総裁になる可能性が高かったからだ。河野氏は防衛大臣・外務大臣・行政改革担当大臣・ワクチン担当大臣と常に日の当たる場所に陣取り続けてきたスター政治家であり、小泉進次郎のような人気先行タイプとは違い、地位と知名度に見合うだけの十分な実力を備えた有力政治家だ。その河野さんが総理になるかもしれない、という期待感から自民党に対する支持率も膨れ上がったのだ。しかし御存知の通り実際総理総裁になったのは岸田だった。これでは膨らんでいた期待も一気にしぼむことうけあいである。次の衆議院選挙で、自民党はまず間違いなく事前に示されていた数字ほどの議席は取れまい。

議席が取れないと政権の求心力にも陰りが出てくる。しかも今年の衆議院選挙だけではなく、来年の参議院選挙、再来年の統一地方選挙と大きな選挙が立て続けに控えている。

さすがに今回の総選挙では、総裁の首が変わったことによる刷新効果で岸田チェルネンコが勝利するだろう。少なくとも過半数を大幅に割り込むような負け方はしないはずだ。しかし河野を支持していた自民党改革派の議員や変化を求める国民と自民党員・党友の反感をくらい、官邸が皮算用していたほど衆議院の議席は取れない。岸田と守旧派は政権浮揚を画策しようと様々な手を打つも、マスコミや世論の多数派からの受けは今一つでジリジリと支持率が下がり批判も増えていく。そうこうしているうちに来年の夏、つまり参議院選挙の時期が近づいてくる。参議院は任期が6年とながく、解散もなく、半数ずつしか改選されないため、一度下手な負け方をすると政権運営に大きな支障が出る。それが致命傷となって退陣してきた内閣もある。もしそんなことになればまた野党として冷や飯を食わなくてはならないかもしれない、と自民党の政治家は思うことだろう。なので一度は岸田チェルネンコが総理大臣になったとしても、そのうち人気のある河野さんのところに総理総裁の椅子がころがってくるのではないのか、というのが私の考え(希望的観測とも言う)だ。

河野にとってベストシナリオは、新内閣の下行われる衆院選の結果が全く芳しく無く、党内から批判異論が噴出。やがてゴタゴタが始まりそれをみた国民やマスコミが批判し、支持率がどんどん下がっていく。内紛はしばらく続き、参院選や統一地方選も危ない状況に。そこに党の内外や国民世論におされて満を持して河野登場、みたいな流れなんじゃないだろうか。

もちろんこれは私の妄想である。岸田がチェルネンコであるかはこれからの政権運営をしばらく見守らなければわからない。グダグダになっても辞任せず、河野に後を任せる前に選挙に負けて下野してしまうかもしれない。

いずれにしろ私にできることは選挙に行き、政治の成り行きを見守ることしかできない。もどかしいが、一回の市民にはそれくらいしかやることがないのである。長くなってしまったので今日はこのあたりで筆を置くことにさせていただく。


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