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映画『行き止まりの世界に生まれて』感じたことメモ(2020/9/16)

ドキュメンタリー映画『行き止まりの世界に生まれて』を観て書いた感想メモ。


「1人は寂しい」という感情が暴力男から17年間も逃げられない家族を生む。
子供たちがいても、自分を渇望するオスがいないと「1人」だと思うのだなという絶望。寂しさからずっとずっと逃げられない。


人は納得したい。
不条理を前に、自分は自分でいいのだと納得したくて、父さんが僕を殴ったのは愛ゆえだと自分に言い聞かせる。

三人の男の子のうち、一人は殴って二人は殴らなかったというけど違う。
二人はまだ父親じゃない。
まだ結果は分からない。
どうだったかは、死ぬまで分からない。


黒人は、毎日人をあっと言わせられるみたいなのも印象的。
生まれたときから問題に向き合い続けているから、白人がへこたれるようなことも全然問題にならないというやーつ。


俺は俺が選んで今の俺だということ、シンプルに自分がダメだということに向き合うことが怖くて酒を飲んでいる。


私はいつも誰かの〇〇。
誰かの娘、誰かの妻、誰かの母。
自分について考える時間を持たないままここまで来てしまった。


白人の養父にビンは、中国語を禁止されて忘れてしまったという話も
母語、言葉を奪うこと、植民地的な振る舞いが家庭内で行われているという恐怖


一見きれいで問題ない街のいたるところについた、スケートボードの「跡」。
全然だいじょうぶじゃないし、全然「ある」ことの証明、でも生きているということが伝わってくる。どれだけ隠しても、なんにも問題ないみたいな顔していてもここにはあるのだ。誰にだって、ある、ということを何重にも重なったスケボーの跡が告げている。

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