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マイライフ (短編小説『ミスチルが聴こえる』)




 好きな人にラブレターを送ったけど、返事は来なかった。八十四円の価値しかない僕のラブレターは、多分ゴミ箱に捨てられただろう。
 令和にラブレターなんて、古い。それにダサい。だけど僕が選んだ道は間違っていないと思う。
 寂れた商店街。破られたポスター。汚い象の置物。僕の日常は、僕に似ている。どこか淋しくて、華がない。
 錆びたポールを飛び越える子供。ふらつく老人。暇そうに伸びをする床屋の店主。お前はもっと輝きのある場所に行くべきだ。父はそんなことを僕に言ったことがある。母も僕の背中を押すように、「しんちゃんはここにいなくていいのよ」と応援混じりのアドバイスをしてくれた。
 でも、僕はどうしてかこの街から離れず、近くの工場で働いている。帰りの時間になると、この商店街で買い物をして帰る生活。休みの日は少しだけ先まで歩いて、これまた歴史を感じる映画館に足を運ぶ。そんな生活。
 退屈そうだな。お前も東京来いよ。上京した友人は僕を誘う。だけど僕は首を横に振って、この街が好きだからと答える。
 本当に好きなのか。それはよくわかっていない。それでもこの街にいるのは、些細な笑顔を見るためだろうと思う。
「しんちゃん、これ食べていきな」
 肉屋に寄れば、すっかり腰の曲がったおじさんがコロッケをくれる。
「しんちゃんには、これをサービスしてやるぜ」
 魚屋に寄れば、元気なおじいさんが刺身をおまけでくれる。
「あらしんちゃん。今日もお疲れ様」
 八百屋のおばあちゃんはいつでも僕を気遣ってくれる。
 東京に行けば、たしかに愉快な気分になれるかもしれない。それでも僕がここに残っているのは、人間独特の温かい感情を忘れたくないからだ。おそらく死ぬまで、たとえこの商店街が無くなっても、僕は漂う温もりを感じ続けて生きていく。
 これが僕のマイライフ。

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