見出し画像

東京『ミスチルが聴こえる』




 久しぶりにこの街へやってきた。東京。誰もが何かを求めて、動き回る街。特にエネルギッシュで大人になりたい若者たちが集い、文化を形成していく。そして彼らはここで大人になり、今度は社会人として日本を作っていく。きめ細かく定められたスケジュールをもとに、彼らは働き続ける。そこから脱落するものは、地元へ帰っていくか、空気が美味しい地方へ行って、ゆったりした人生を送る。
 僕も、かつてはここでしこたま働き、歯車を猛スピードで回し続けた。たくさんのライバルを蹴落として、良いことも悪いことも含めて行動し続けた。誰かを幸せにする一方で、誰かを傷つけた。それが毎日続いた。休みの日だって、常に自分をアップデートすることに時間を注いだ。とにかく、活躍したい。偉くなりたい。お金が欲しい。素敵な女性と結婚したい。多分、あの頃の僕は次から次へと欲望が溢れ出して、メンテナンスすることを忘れてしまったのだろう。
 パン。
 あるとき、僕は壊れた。心も身体も一切機能しなくなり、人間とは呼べない状態まで堕ちた。
「休みなさい」
 しかし、最初は東京で結果を残したいと、意地でもこの場所に残ろうとした。だが、常に人々が蠢き、熾烈な椅子取りゲームをしている東京に、僕の居場所など残されていなかった。
 母の実家がある街は、一言で言えば田舎だった。見渡す限り、緑。耳を澄ましても人の声など聞こえやしない。代わりに聞こえてくるのは、虫の鳴き声と風の吹く音だけだった。僕はそこで実家の事業を手伝う傍ら、精神を休めた。
 毎日がのんびりしていた。朝から晩まで、誰も忙しそうにする人がいない。各々が自分の人生を大事にしている。
「ゆとりが大事なんだよ」
 東京にいた頃の僕は、まるでゆとりがなかった。常に切羽詰る状態で、がんじがらめになっても無理やり突破しようと必死だった。考えることもしなかった。だからコントロールできなくなったのだろう。
 ゆとり。それを持って、東京を見たらどんな景色に映るだろうか。
 東京を離れて一年後。ほとんど回復した僕は電車に乗って東京へやってきた。行き先は、僕が働いていた大手町だ。
 相変わらず、人々は忙しなく動き続けていた。どこかでサラリーマンが営業し、配達するトラックが走り回り、若者たちが夢を追ってアクションを起こし続けていた。
 ただ、今の僕はそれらを見てもちっとも焦る気持ちが生まれなかった。むしろ、それぞれの物語の断片を見ているようで、楽しくなってしまった。
 そして、東京にいたときは余裕がなくて登っていなかった東京タワーに登り、展望台にて『東京』を見た。それはずいぶんと平穏で、ゆとりのある情景だった。誰もがあの頃の僕みたいに生きているわけではない。東京にだって、のんびりした時間はあって、穏やかな日常はあった。ただ、僕が気づけなかっただけだ。ゆとりのない僕が、知らなかっただけだ。こんなに素敵な景色を見ることができる東京を、僕は愛せなかった。
 なんだか今までの自分が情けなく思えてしまい、泣くどころか一でケラケラと笑ってしまった。
 

この記事が参加している募集

#スキしてみて

525,870件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?