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靴ひも(短編小説『ミスチルが聴こえる』)



 彼女が飛ぶまで三十秒。残り百メートル。
 僕の靴紐が解ける。
 僕は色々と過去の記憶を思い出す。彼女との日常。あらゆる情景や匂い、音。そして足。彼女が歩む足。どこかへ進む足。
「ヘヴンへ行きたいの」
 彼女が飛ぶまで二十五秒。残り百メートル。
 僕はどこへ行きたい? 彼女の元? それともヘヴン? 僕は屈んで、靴紐を直す。
 彼女が飛ぶまで二十秒。残り九十メートル。
 僕が描いている未来に、彼女はいる。彼女の足は確実に地に着き、笑っている。空気は弛んでいる。
 彼女が飛ぶまで十五秒。残り??
 僕は喉が張り裂けそうになるくらい叫ぶ。「待ってくれ!」 しかし、彼女は振り向かない。行き先は決まっている。
 彼女が飛ぶまで十秒。
 僕は一つの決心をする。彼女の元へ行こう。空気が張り詰める。ピンと、そして音が消える。
 彼女が飛ぶまで五秒。
 僕は彼女の元へたどり着く。そして彼女が望む世界へ一緒に行くことを告げる。
 彼女が飛ぶまで〇秒。
 彼女はしゃがむ。泣きながら、どうしようもないって、あなたが一緒に来ちゃったら私は罪人になってしまうと言った。
 それでも僕は彼女と一緒にいたかった。たとえ真っ暗な世界でも、感覚が死んでも、僕らは一緒にいる。
「ごめんなさい」
 彼女は飛ぶことをしなかった。代わりに、解けてしまった僕の靴紐を直してくれた。
 

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