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父の人生を変えた『一日』

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父は茨城県守谷市の片田舎生まれ。旧姓は鈴木。母と結婚するに際して、養子縁組して、水澤という姓になりました。2016年、4月2日に父は亡くなりましたが、生前、ライオンニュースという…
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#シアトル

父の人生を変えた『一日』その52 ~日本に帰国~

その52 ~日本に帰国~  米国トーメン社から辞令が出る前にライオンは何処に帰るのだろう…

水澤元博
3年前

父の人生を変えた『一日』その51 ~別れ~

その51 ~別れ~  シアトルタマコ空港には沢山の人がお別れに来ていた。家族はハワイで数…

水澤元博
4年前
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父の人生を変えた『一日』その50 ~国際結婚~

その50 ~国際結婚~  ㈱トーメンのシアトル支店とカナダトーメン社の木材部の合同ゴルフ…

水澤元博
4年前
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父の人生を変えた『一日』その49 ~さらばアメリカ~

その49 ~さらばアメリカ~  アメリカからの帰国する日が近づいてきた。アメリカの友人達…

水澤元博
4年前
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父の人生を変えた『一日』その37 ~アメリカの学校~

その37 ~アメリカの学校~  娘は3才でアメリカに来た。黒人を見た事がなくて最初は怖が…

水澤元博
4年前
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父の人生を変えた『一日』その36 ~助け合い~

その36 ~助け合い~  シアトルに駐在している日本航空の八島支店長さん一家と子供が同級…

水澤元博
4年前
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父の人生を変えた『一日』その35 ~罰金~

その35 ~罰金~  総合商社マンの奥様は、アメリカシアトルに来られるまで日本で車の運転はしないし自動車免許も取っていないしハンドルも握ったことがない人が多い。ところが、アメリカで車が無いとどうにもならなく動きが取れなくどこの奥様もシアトルで免許をとる。それが当時たった14ドル(1500円くらいか)で免許が取れるのである。 自動車学校もなく学科試験と自分の車を持っていって実技で取るのである。アメリカの免許は取ると言うより、「くれる」と言った方がよいのかもしれない16歳以上の人

父の人生を変えた『一日』その34 ~車社会アメリカ~

その34 ~車社会アメリカ~  シアトルに着任してすぐに新しい財経駐在員が転勤でこられた…

水澤元博
4年前
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父の人生を変えた『一日』その26 ~韓国・中国との商売~

その26 ~韓国・中国との商売~  大江支店長に申し上げた。 「シアトル支店は日本向け丸太…

水澤元博
4年前
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父の人生を変えた『一日』その25 ~全米空手道大会~

その25 ~全米空手道大会~  息子が西海岸の空手大会で優勝した。アメリカを4つの地域に分…

水澤元博
4年前
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父の人生を変えた『一日』その24 ~商機~

その24 ~商機~  たった一言がヒントになって状況が様変わりする事もあり大きな商売に結…

水澤元博
4年前
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父の人生を変えた『一日』その23 ~商魂たくましく~

その23 ~商魂たくましく~  ㈱トーメン、シアトル支店、大江支店長と4輪駆動の赤のジー…

水澤元博
4年前
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父の人生を変えた『一日』その22 ~新たな挑戦~

その22 ~新たな挑戦~  アメリカに住み始めても仕事で土曜日、日曜日もなかった。毎日、…

水澤元博
4年前
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父の人生を変えた『一日』その21 ~息子の空手との出会い~

その21 ~息子の空手との出会い~  息子は小学生1年生でシアトルに来た。娘は3歳であった。息子はアメリカに着いた翌日からシアトルの小学校に通った。土曜日だけは日本人学校(補習校)であったが月曜日から金曜日まではアメリカの小学校であった。毎日、アメリカの国に忠誠を誓って(The Pledge of Allegiance)から学校の授業が始まった。完全に子供たちは頭の中がアメリカ人に成ると思った。そして日本語をだんだん忘れていくと思った。自宅では英語を使わせなかった。親は考えた