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父の人生を変えた『一日』その50 ~国際結婚~

その50 ~国際結婚~
 ㈱トーメンのシアトル支店とカナダトーメン社の木材部の合同ゴルフコンペがあった。終わってから内地から新入社員の6ヶ月研修を終えた堤君が私に相談があると言う。酒かコーヒー聞いたところコーヒーと言う。真面目な相談だと思った。新入社員の海外研修、ニューヨークで研修し帰属本部のある木材部のシアトル支店で勤務していた。ライオンの子分と言うことでニックネームは「COUGAR」クーガー堤と命名された。信州大学卒業同大学弓道部のキャプテンだった。私が名古屋から来たので名古屋の木材部に戻る予定だったがそのことでも聞きたいのかと思った。ところがとんでもない言葉が返ってきた。
 「ライオンさん、私はカレン(金髪のシアトル支店の木材部の事務職の女性)と結婚します。彼女は私の子供を妊娠しております。」と言った。全く驚きであった。私は「それでは結婚しなければ成らない。」と言って単純に彼を祝福した。そして支店長にも上司にも連絡した。しかし、まだまだ国際結婚に懐疑的な人もいる時代であり、さらには新入社員の分際で何が国際結婚だとか、いろいろと問題になった。結果だけを言うとシアトルで結婚式を挙げた。長岡の義理の両親もたまたまシアトルに来ていたので結婚式に同席。内内でお祝いをした。
 思い返せば、カレンは堤君の相談の3日前に胃に「tumour」腫瘍見つかったと言って気分悪そうに早退し病院に行って精密検査すると言っていた。結果的にはそれが妊娠だったと言う。国際結婚大変な事になった。


~倅の解釈~
 堤さん。鮮明に覚えている。良く自宅に来て夕食を食べていた。背が高くイケメンの青年的な存在で記憶している。親父も気合の入った部下が出来て喜んでいたことをはたから見て子どもだったが覚えている。カレン、父の下で働く超美人の白人女性。パーティーとかで会ったが芸能人かと思うぐらい綺麗で長身。素晴らしいプロポーション。正直なところ、いつも父の横にいたので堤さんとの結婚を聞くまでは、親父の愛人だと思っていた。親父、子どもは見ているんだよ。
 堤さんとカレンさんの結婚式は私も勿論、出席した。当時10歳か11歳ぐらいだったと思う。30人程度の披露宴だったかと思う。親父からは国際結婚は色々と面倒だと聞いていたが、私や妹からすると「何言っているの」という感じだった。我々は幼少期からアメリカに居るので、異なる国籍、バックラウンドを持つ結婚は当たり前と思っていた。日本に来て、ハーフという概念が特別視されていることにびっくりしたぐらい。アメリカでは純正のアメリカ人とアメリカ人の子どもというのは存在しないと思う。どこかで、ヨーロッパや他国の血が流れている。妹と二人で生まれてくる子供が青い目をして黒い髪だったら、可愛いよねと話し合った記憶がうっすらとある。
 私もアメリカが長かったので、女性のお付き合いについては、はじめての彼女は勿論、アメリカ人だった。高校に入ると中国人や韓国人と少しアジア系の彼女にシフトしたが、高校2年生で初めて日本人と付き合ったぐらいだ。思い出に残っているのが、典型的なアメリカ人の彼女と付き合っていた高校1年生の時。彼女はご両親と一緒にトレーラーハウスに住んでいた。夢は日本に行くこと。どう考えても、イケメンとは程遠い私と付き合ってくれたのも日本への興味があったからに違いない。意外と勘違いされているのはセックスに対すること。比べるとどう考えても日本の方が女性は男性に対して寛容だ。言葉を選んで記載しているが。アメリカでは宗教的な観点もあるのか、なかなかお付き合いのステージが進まない。1塁、2塁、3塁、ホームランとアメリカの男性の中では表現をするが、たいてい、1塁以降は、3塁まで相当時間と労力がかかった。本当に愛しているのか、そこに愛があるのかが問われた。
 バレンタインの時、バラの花束(5本程度。お金がなかったので)をもって、授業をやっている彼女のクラスに入って、クラスの前で手渡したり、と愛情を伝えることに必死だった。そこには勿論、愛情よりも下心しかなかったが。

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