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父の人生を変えた『一日』

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父は茨城県守谷市の片田舎生まれ。旧姓は鈴木。母と結婚するに際して、養子縁組して、水澤という姓になりました。2016年、4月2日に父は亡くなりましたが、生前、ライオンニュースという…
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#経営

父の人生を変えた『一日』その85 ~経営と技術に優れた企業づくり~

その85 ~経営と技術に優れた企業づくり~  「ライオンさん業界の会長・理事長さんとはど…

水澤元博
3年前

父の人生を変えた『一日』その40 ~差別~

その40 ~差別~  アメリカ滞在が長くなりアメリカ人の人格者と心を割って話す機会が多く…

水澤元博
4年前
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父の人生を変えた『一日』その39 ~英語の発音~

その39 ~英語の発音~  アメリカ、シアトルに昔の鬼塾の教え子が何の予告もなくやってき…

水澤元博
4年前
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父の人生を変えた『一日』その38 ~ピンチはチャンス~

その38 ~ピンチはチャンス~  若い社員の堤君が運転して高速道路を走っていた。助手席の…

水澤元博
4年前
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父の人生を変えた『一日』その28 ~商売の心~

その28 ~商売の心~  シアトル支店独自の商売が始まった。リスク&アカウントを持っての…

水澤元博
4年前
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父の人生を変えた『一日』その27 ~靴底を減らす~

その27 ~靴底を減らす~  毎日が忙しく走り回った。どこの会社の木材の駐在員でも木材検…

水澤元博
4年前
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父の人生を変えた『一日』その26 ~韓国・中国との商売~

その26 ~韓国・中国との商売~  大江支店長に申し上げた。 「シアトル支店は日本向け丸太と製材品の商売をしておりますが、丸太を中国・韓国・アメリカの製材工場に販売して良いですか?」 今まで歴代の駐在員が考えもしなかった事をライオンはやろうとしていた。大江支店長も過去の商売や慣習にとらわれない力量の大きな才覚がある人であった。 「ライオン、やれ」 その一言だった。大江支店長は内地木材本部に優しく丁寧にお伺いをした。その返事のテレックスを見てライオンは激怒した。 「やれる物なら

父の人生を変えた『一日』その25 ~全米空手道大会~

その25 ~全米空手道大会~  息子が西海岸の空手大会で優勝した。アメリカを4つの地域に分…

水澤元博
4年前
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父の人生を変えた『一日』その24 ~商機~

その24 ~商機~  たった一言がヒントになって状況が様変わりする事もあり大きな商売に結…

水澤元博
4年前
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父の人生を変えた『一日』その23 ~商魂たくましく~

その23 ~商魂たくましく~  ㈱トーメン、シアトル支店、大江支店長と4輪駆動の赤のジー…

水澤元博
4年前
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父の人生を変えた『一日』その22 ~新たな挑戦~

その22 ~新たな挑戦~  アメリカに住み始めても仕事で土曜日、日曜日もなかった。毎日、…

水澤元博
4年前
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父の人生を変えた『一日』その20 ~アメリカ大統領と接見~

その20 ~アメリカ大統領と接見~  シアトルに米国大統領ロナルド・レーガンが日本と中国…

水澤元博
4年前
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父の人生を変えた『一日』その14~営業マンとしてのスタート

その14 ~営業マンとしてのスタート~  2年目で営業に廻され新天地名古屋で『日本一の営業…

水澤元博
4年前

父の人生を変えた『一日』その13~名古屋からアメリカへ~

その13 ~名古屋からアメリカへ~  私は、㈱トーメン名古屋の野球部のキャプテンをしていた。芝浦工大のエースをしていてプロにスカウトされるくらいすごいピッチャー坂東君がいた。野球は巧かったが選挙の結果、私がキャプテンになった。野球が巧いだけはキャプテンにはなれないのである。 その野球部の若い人たちが私のシアトル勤務に『驚きと感激で』いっぱいであった。名古屋支店から海外特にアメリカに転勤する事が少なく東京や大阪がほとんどであった。すごいアメリカ転勤だ「俺達も頑張れば名古屋からア