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父の人生を変えた『一日』

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父は茨城県守谷市の片田舎生まれ。旧姓は鈴木。母と結婚するに際して、養子縁組して、水澤という姓になりました。2016年、4月2日に父は亡くなりましたが、生前、ライオンニュースという…
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2020年8月の記事一覧

父の人生を変えた『一日』その61 ~ケチな先輩~

その61 ~ケチな先輩~  ㈱トーメンの給料日は毎月15日であった。私は柏の独身寮にいた。…

水澤元博
3年前
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父の人生を変えた『一日』その60 ~死~

その60 ~死~  2年生先輩の逸見先輩が受け渡し部にあまり大した用事でもないのに私の所に…

水澤元博
3年前
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父の人生を変えた『一日』その59 ~部下~

その59 ~部下~  アメリカから帰って東京本社木材本部米材課の課長で働いた。夕方、課員…

水澤元博
3年前
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父の人生を変えた『一日』その58 ~英語~

その58 ~英語~  本部長から呼び出しがかかった。偉いさんが集まっていた。 「ライオン、…

水澤元博
3年前
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父の人生を変えた『一日』その57 ~戦闘部隊~

その57 ~戦闘部隊~  その日は異様な雰囲気の日であった。㈱トーメンの木材部の上席はあ…

水澤元博
3年前
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父の人生を変えた『一日』その56 ~サラブレッドの集まり トーメン~

その56 ~サラブレッドの集まり トーメン~  新入社員が入ってきた。お前の親父はなにを…

水澤元博
3年前
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父の人生を変えた『一日』その55 ~時間と縁~

その55 ~時間と縁~  人生は何が起こるか分からない。『人生はあざなえる縄のごとし』と言った人がいる。 禍福(かふく)つまり幸福も苦労も縄のように順次起こってくるものである。新入社員で外人と国際結婚したクーガー堤君は今や世界一の木材会社ウエアーハウザー社の日本向けセールスマネージャー販売部長になっている。数年前にシアトルに行ったときも会ったが全く元気で頑張っていた。 長岡新聞に寄稿した『ライオンが吠える』にでてくる下條さんは昭和49年に70万円のお金を払えなかった人。今やポ

父の人生を変えた『一日』その54 ~商売の師匠~

その54 ~商売の師匠~  萬(まん)玉(ぎょく)本部長は言った。 「ライオン米材で何とか3億…

水澤元博
3年前
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父の人生を変えた『一日』その53 ~商機~

その53 ~商機~  大阪のお客様でニチメン、日商、三井物産、丸紅、住友商事が販売してい…

水澤元博
3年前
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父の人生を変えた『一日』その52 ~日本に帰国~

その52 ~日本に帰国~  米国トーメン社から辞令が出る前にライオンは何処に帰るのだろう…

水澤元博
3年前

父の人生を変えた『一日』その51 ~別れ~

その51 ~別れ~  シアトルタマコ空港には沢山の人がお別れに来ていた。家族はハワイで数…

水澤元博
3年前
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父の人生を変えた『一日』その50 ~国際結婚~

その50 ~国際結婚~  ㈱トーメンのシアトル支店とカナダトーメン社の木材部の合同ゴルフ…

水澤元博
3年前
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父の人生を変えた『一日』その49 ~さらばアメリカ~

その49 ~さらばアメリカ~  アメリカからの帰国する日が近づいてきた。アメリカの友人達…

水澤元博
3年前
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父の人生を変えた『一日』その48 ~休日出勤~

その48 ~休日出勤~  アメリカでも土曜日も日曜日も無かった。ある日曜日に子供2人を赤のブレイザーに乗せて港に木材の検品に連れて行った。港の近くで出材された木材を良く検品した。子供たちはすぐに飽きてしまう。木材などに全く興味もなかった。木材に印をつけるスプレー缶が沢山置いてあった。太い丸太の木口にやっと字を覚えた娘の有香が自分の名前を書いた。「ありか」とひらがなであった。息子も真似をして「もと」とひらがなで書いた。   日本からテレックスが来た。松山港に上がった「木材の木口