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フィードバックの重要性について/振り返りの下手な日本人


フィードバック(振り返り)の重要性について。


ここのところ、編集の仕事が増えたので、止めて、みる、繰り返し、みる、という作業の良さを感じているところだ。
物事の本質は、とめて(止めて)、みる(観る)、行為をして初めて見えてくるものだ。


編集している坪郷先生の講座のなかに、フィードバックの重要性について語られる部分が出てくる。

動画でも言及されているが、日本人はこれが非常に下手。
下手というか、そういう行為、動作、習慣を習う場面がほとんどないと言っていいのが、現状だろう。

研究者の方々なんかは、その辺りが別格で、フィードバックなしに、物事がよくならない、良いものが作れないことをよくご存知なのであるが、全体で見るとやはりレアな集団と言えるだろう。

そのくらいに、フィードバックについて、学ぶ機会が少ないのが、日本の現状だろう。


要因の一つに、日本独自の村的コミュニケーションの浸透がある。

島国固有のそれは、地域、村単位で、特殊なコミュニケーションの形態を生んだ。そして今もそれは、全国の至る所で温存され続けてきたのだ。
特徴的には、年長者に従え、村の掟に従え、という強力なトップダウンが集団全体に働くというものがある。

考えてみれば当然だが、従うことが大事なのだから、例えば、村の所属員たち、いわゆる年下の者たちは、意見をすることは許されない。つまり、上位者は常に、下の者からのフィードバックを受けることがないということを指す。


これが根底にあるから、フィードバックなんて叫ぼうものなら、「反抗するのか?」「歯向かうのか?」と一蹴されてしまうのである。


想像するだけで恐ろしい世界である。

翻って、世界は、より個々とそこにある自由を際立たせ、差別や偏見のない社会を目指そうとし動き続けている。

インターネットの登場は象徴的で、消費者がサービス提供者との対等な関係をも築く未来を予感させるものであった。(現状は、どうあれ。)


今や、フィードバックによって、物事をよりよくする、ブラッシュアップするということは、とても自然なことのように思える。


残念ながら、まだまだ日本人が、フィードバックを自然に行っているとは言い難いだろう。
PDCAなるものが流行った時期もあったが、これなんかもフィードバックなしにそもそも成立のしようがない。

改めて、フィードバックの重要性は強調されるべきなのだろうと思う。

例を挙げておく。
例えば、ある中学校では、レポート課題が出ていたのだが、なぜか、点数も採点の結果も、何一つ、返却されていないと聞いた。これではどうやって子どもたちがレポートを上達していけるのか、全く想像ができない。


また、NPOとしての助成金の運用。これも国やまち単位で、多くの助成金に携わってきて感じていることだが、なぜか、活動の主となる我々NPOからのフィードバックを求められることがない。
いわゆる、仕切る側(行政や財団など)が、一方通行で、NPO団体を評価するばかりで、なぜか、我々からのフィードバックは必要とされないのだ。これで、良い助成金運用ができるとはとても思えないのだが皆さんはどう考えるだろうか。

フィードバックは、物事をより良い方向に向かわせるための、重要なアフターケアである。

かつ、それはたとえ、上位と下位、トップと子分と言ったような、トップダウン構造になっていても同じで、両者からのフィードバックがあって初めて、フィードバックと呼べるのである。


(日本古来の師と弟子、については、必ずしもそうでなくてもいいとは承知している。そういう関係は成長のためにあってもいい。ここでは長いので言及しない)

フィードバック、あなたは、日々、行っていますか?


(おわり)




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