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再テストの前にすべき、自分自身の授業への振り返り

それらの多くが、勘違いと煩悩によるものであろう。

何の話か。

例えば、中学の定期テストがあり、学年の平均点が低くかったとする。

それを受けて、先生が子どもたちにこう告げる。

「君たち、なんだこのテストの出来は!勉強が足りてない。よって、全員で再テストをする」

そんなことがあったとしよう。

この時、本当に考えなければならないのは、「子どもたちの努力量」なのか否か、それを問いたい。

特に、先生の立場の人は、プロの先生として、本当に何を考えるべきかを、問いかけておきたいと思う。 


もちろんここには、前提や文脈がある。この前提や過去からの文脈のせいで、「今まで良かったこと」(ここで言えば「再テスト」)が必ずしも得策ではなくなることを考えておく必要がある。


その文脈は、こうだ。

子どもたちの学力(ここでは既習の力ではなく「学ぶための力」を指す)は、落ちている。

この前提のもとで、問いかけについて考えてみてほしい。


テストの点数が想像以上に低かった→子どもたちにその責任を全て負わすべきなのか?

プロとして考えるなら、「まず自分を振り返る」という選択があるのではないか。


テストというのは、授業で習ったことの確認である。

そのテストができないということは、

「教える側がうまく授業を行えてないのではないか?」
と考えるのがまず始める考えるべきところだろう。



あえて前提に触れた。

それは、現世代の子たちの学ぶ力が落ちているという前提だ。
ここが非常に肝心だ。 

学ぶ力が落ちているからこそ、その子たちがよりうまく学べるように授業構築を考えなければならないからだ。

この点において、かつての一斉講義型だけをただやり続けるということが、非常に無駄な労力であることが分かるだろう。 


現代の子たちの特性に合わせて、授業形態、学び方を大きく変える必要があるのだ。
(文科省レベルでは既にこれは何年も前に打ち出されている。しかし現場は・・・)


それに取り組んでいないのに、「お前たちの勉強のせい」にしていては、ほとんど何の解決にも向かわないのである。

子どもたちの点数が取れていないことを、生徒のせいにするのではなく、自分自身の授業や指導に向ける。


これがプロとしての正しい姿なのではあるまいか。



話は終わらない。

何せ、現代の子の特性の変化は、想像以上に大きい。
そして手強い。


その手強さがわかっていれば、
「同じテスト(または似たテスト)をもう一度行う」というような単調な策をとっていては、本質的な改善には向かえないことが認識できる。

ここはひどく肝心なポイント。

特に、テスト勉強だけにとどまらず、子どもたちの日々の学び方を考えなければならない。
何せ過去の(授業)手法がほぼ通じないのだから、大変どころの騒ぎではない。

しかし、これが現代、なのであり、未来なのだ。
目を背けようが、逃げの姿勢でいようが、否応なくそれは襲ってくる。


冒頭、勘違いと煩悩だ、と述べた。


つまりは、
自分の授業が(現代の子達に)通じている(効果的である)という勘違いと、
自分の授業に間違いはない、過去の積み上げが正しいのだと思い込みたい、そういう煩悩である。



長くなったのでまとめよう。

再テストの前に考えるべきことがある、それはプロとして自分を振り返ること。
ただし、現代の子たちはかつての子と同じようには学べない。
単調な押し付けをしては、さらにことは悪化の一途を辿る。 

何ができるか、何をすべきか。

多くを学び、実践するのみ。


もちろん、必要があれば、僕の動画や記事シリーズを活用されたし。

少なくとも既に僕はかなり前から取り組んできたので、自然、どの文章もどのトークにもそれらのヒントが満載なので。

(おわり)




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