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続アート論、そしてマーケティング論


先日デジタル発刊したモリマガジンvol.11「現代アートとトイレ」、たくさんの方に読んで頂きまして、誠にありがとうございました。さてさて今回もダイロウくんが素敵な文章を寄稿してくださいましたので、それでは早速、ぼくがビビっときた箇所を改めてどうぞ


現代アートを想うとき、この深部のあたりから浮かび上がって光と影を強烈に認識させる感覚を覚えるので、多分傷を負った魂がかさぶたを作る過程であらわすモーションみたいなイメージを映しているのだ。露骨に世間の熱を浴びた魂はやけどしているヒリヒリとした肌をなにかで、冷やそうとするあるいは覆うようにする何かを探す、これで、いいだろう。すると、何かが違うよう。だから、また更にさがして行く。
この繰り返しを何層にも重ねていったのが、アートの創出に近い気がする。

※「現代アート考」ダサワミイロウ より引用



魂を癒す行為、そうやってアートは生まれていく、そうだと思った、ここで言うアートって、すごく個人的なもので、純粋なもので、決して上手い下手ではなく、とっても美しいもの、だと思う、そっから後付けで、コンセプトを付けたり、意味を載せたり、コンテクストにしてみたり、価値を積み上げていく、それらの作業がまさにマーケティングで、アートがうまく市場に受け入れられたら、アートがARTになるのでは、またはその逆の過程もしかり

またダイロウくんの文章の魂を地球に、アートをマーケットに、置き換えてみると、とても面白い、傷を負った地球をどう癒すか、ヒリヒリした地球をどう冷やすか、どう覆うか、それを探り、試行錯誤を繰り返すことがマーケットの創出になるということになって、見えてくる世界は、ドラッカー氏の言うように、マーケティングとは顧客の創造であり、ようは未来の創造であるとすれば、未来の創造テーマは地球をどうやって癒すか、トレンドは全てその上に載っかってきて、そういう視点で、衣食住を考えたときに、どうだろうか、先日ある女性に出会った、自然農で畑をやって、醤油、味噌、加工品も作って、農業のワークショップもしている、自給自足的なくらしのおっそわけで商売をしている、社会の中で成り立っている、素晴らしい!と思った、きっとこういうのがこれからの王道なんだろうなあ、そうなったらマーケティングの意味合いも変わってくる、未来の創造が今の創造になって、顧客の創造はくらしの創造になってくるのではないだろうか、その市場は、あまりお金がかからない、モノはあまりいらない、サービスは自分たちで創る、セルフだ、そこにぼくは着地した、もしそうなったら、ドラッガーはどこかに行ってしまうだろう




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