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文章生成AIを利用する注意点

人間が書く文章の時代が終わりを迎えようとしているのか、それとも既に終わったのか。文章だけではなく、人間の経験と勉強から生まれるクリエティブな仕事、翻訳や通訳、コンテンツなどの能力はどうなるか、現代問題にもなっている。

通訳者とライターとして、新案件ごとにゼロから準備をしなければならない苦労は分かる人には分かるだろう。新案件のストレスと不安の気持ちがある中で、無事に成功させないと次の仕事にまでも悪い影響を与えてしまう。この薄い線の上でもがいている生き物は、この地球において人間しかいないのではないだろうか。
この薄い線を太く強くするためにAIを導入することで、大量のコンテンツを短時間で作成することができる。似たような作業を繰り返し作成する時に、AIに任すことで作業効率が一気に上がる。過去の文章と内容を元に新しいコンテンツを生成する、これを一瞬でやってしまえるのだ。多言語翻訳にも応用できる。

自分から考えながら動いて調べて読んで、やってみた結果を見てどう進むかという作業は、AIに頼んだら数秒から数分で楽に仕事のベースがすぐできてしまう。出来上がった文章などに手を出せば、より人間らしいものが生まれる。

楽に効率化が叶う。残った時間は他の作業もできる。これを考えるといいことしかなくて、使わないともったいないという感覚になるのは珍しくはないはず。
僕はここで、今まで行ってきた仕事の過程に思いを馳せた。時間をかけて薄い関係と思われるようなことまで調べて、知識になったり時には失敗したり。より思考に費やす時間が増えていた。失敗することで心と脳の成長はより早く進化できたわけだ。

個人経験でAIと付き合ってみて感じたデメリットを初めて書き出してみた。
AIの学習に使ったデータをベースにして文章を生成するため、内容の品質の波が激しくて使えない部分が多い場合もある。専門的な知識や人間しか感じない感情の部分は、正確さや信頼性の問題になる可能性が高い。著作権侵害の問題にもなる。
1番の恐ろしさは、自分のオリジナリティがなくなることより、人間らしさと目で見えない哲学的な部分が理解できなくなる。

一般的な文章が短期間でできる反面、カタログのように心の響きがない。AIは既にあるベースの情報をパズルのように並べるだけ。そこに人間の手を加えないと読み応えがない。しかも、元々自分の文章ではないから、結局書き直しとアイディア出しの作業が増える。言葉の並べ方によって、著者によって、その言葉は新しい意味をつける時もある。

文章の構成も書けば書くほど、脱線してしまうこともある。
人間の仕事や毎日が楽になるのは確かにそうかもしれないけど、人間関係や人間にしかできない発想、生き方のレベルが下がる。楽な環境に入ると、コンフォートゾーンにいるようで知らないうちに弱くなる。困る時にポジティブな行動が足りなくなる。すぐ止まってしまう。困るからこそ、人間の発想からとんでもないものを出せる

簡単に言うと、スマホもそうだけど。たった一つのデバイスでカメラ、マップ、なんでも予約と購入ができる、読書、メモ、支払いなどができる。明日からはスマホなしの生活ができると聞かれたら、おそらく「できない」という回答がほとんど。僕だってそうだ。
ある意味、人間という生き物が弱くなったと言っても過言ではない。

自分の代わりにどこまでAIに任せるかを考えるべきで、期待しないことが重要だろう。人間は楽な環境に入るとすぐ怠ける傾向がある。自分の能力というのは、何よりとんでもなく信用できる道具なのだ。

Massi


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