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日本人になりかけてる僕の物語

こんにちは、日伊通訳マッシ(@massi3112

法律的にはイタリア人だけど、心は日本人へ進化してきている僕の物語が始まる。

パスポートを見る時だけ、自分がイタリア国籍であることに気が付く。日本との関係がいつから始まったかと言うと、子供の時からだ。当時は知らなかったけど、今思い返すと見ていたアニメは日本の作品ばかりだった。ある意味、日本は僕を呼んでいたのかもと強く思っている今日この頃だ。

アニメで日本の存在を知り、日本の文学によって文化と社会から世界への感覚、心まで理解できた。日本文学のおかげで、大和言葉から現在まで続いてくれた日本語に出会えて、僕の心は変身が始まったのだ。大学生時代の時から気持ちが変わらず、毎日努力した結果。日本を学ぶことの難しさに、咲いたばかりの薔薇のような美しさが見え始めた。

なぜ現在も勉強しているの?とよく聞かれる。その答えは、出会えた日本語の美しさが大切で尊敬しているから。日本語の言葉遣いや表現、自然から現れた大和言葉は、僕にとって世界一自由度が高い。僕のエネルギーがあるうちに、深く理解したい。僕にとっての日本語は外国語でもなく母国語でもなく、いつでも支えてくれる両親のような存在になりつつある。

大切にしているのは日本語だけではない。日本の文化も社会も日本人との関係も然りだ。理解しようとしていて、ある意味、自分の人生をかけている。

日本に住み始めて15年目のある時に、僕の中のイタリア人としての存在はいつの間にか日本人としての存在に変化していた。目で確認できて嬉しかったエピソードは、今まで一時帰国は何回もあった中で少しずつイタリアのライフスタイルは僕に合わなくなってきたことだ。せっかくイタリアに来ているのに日本食を食べたい。温泉に行きたい。八丁味噌を食べたい!!

子供の頃から見ていた日本のアニメは、そのアニメの一員になったような感覚だ。一旦なら離れることができるけど、すぐ戻らないと恋しくなる。イタリアにいるときの僕の心の一部は取られているような淋しさだ。

言語のレベルを超えるというのは、どういうことかなと思ったことがある。その答えはずっと出てこなかったけど、少しずつ分かってきた。

自然の中で散歩しているうちに、自分と周りの環境を言葉を使わずに理解できる。
言葉のないコミュニケーションを取れる。
海沿いに座り海を見るだけで、海からの感動を感じ言葉を交わさない会話になる。

いくら苦労しても、いくらわからなくなっても、どれだけ部屋が暗くなっても。心の中にある気持ちでリフレッシュしながら、今までやったことを見ることで晴れてくる。

やめたい時、やろうと決めた理由より、やりたい思い出を優先すれば、自然に笑顔になる。その時に、自分の成長と変化が現れてくる。

知らないうちに、いるべき場所、ここではないと無理、ここなら自分のバランスが保てる、そういった安心感が「日本」になっている。日本生まれ育ちではない僕は、自然と日本生まれ育ちのように感じるのだ。
自然に言えるようになったのは、1人の時も「いただきます」「ごちそうさま」、元気な声で「おはようございます」、気持ちをこめて「ありがとうございます」などのシンブルな言葉。実は難しい。

日本語の美しさは目で見えない形になる。
日本語の難しさはシンプルな単語にある。
日本語の心は移り変わる四季と同じである。

このような記事を書けるというのは、日本人になりかけている証拠ではないだろうか。

Massi

みなさんからいただいたサポートを、次の出版に向けてより役に立つエッセイを書くために活かしたいと思います。読んでいただくだけで大きな力になるので、いつも感謝しています。