僕が自分をプロの通訳者と言えない理由
通訳者は言葉を訳す仕事ではないというのは、現実。
日伊逐次通訳者として15年間以上この業界で生きてきた中で、僕は自分のことを「プロの通訳者だ」と思ったことが一度もない。通訳者の僕は、いつからプロとして活動が始まったか、現在も答えられないかもしれない。
日本で活動している外国人の僕は、日本語を少し話しただけで「日本語がお上手ですね」という決まり文句を言われることが少なくはない。この通訳業界に関係ない人は「外国語を話せる=現場で喋るだけの楽で簡単な作業」というイメージが、残念ながら未だに残っている。
友達と自由に話すだけなら「楽」という気持ちがわかる。ところが、通訳現場は自由さがほとんどない。個人の意見、気持ち、行動などは邪魔になる。時には自分の敵になるケースだってある。
どこが大変かというと、
自分の言葉を使わずに、話し手のようになって訳して話すこと。
外から見ると「話す」に見えるかもしれないけど、実は「訳す」作業をしている。異文化の壁に言葉や国民性の違いという壁もあって、この壁は金庫のような厚みだ。もう一つの分厚い壁は、下準備の大変さと現場でのマナーを覚えること。
同じお客様から仕事をいただいたとしても、準備がほぼゼロの状態から始まる。
仕事の流れも現場のことも、さらには移動のことも考えないといけない。要するに本業は通訳者だと言っても、不安とストレスの部分が減るわけではないということだ。現場に入るまでは消えない。現場に入ったとしても、また別のストレスが始まるのが現実だ。
お客様からはフィードバックをいただいたとしても、それが「プロ」の証拠ではない。本当の証拠は仕事のリピートと、第三者への紹介だ。
「プロの通訳者」と言えないというより、言いづらい理由がある。それは言語に対する自分の知識以外のことが、一切コントロールできないということだ。決まった仕事の流れはその通りに行かない可能性が高いから、どうなるかが読めない。強いて言うなら、長く経験することでやっと各現場の雰囲気を素早く読めるようになって、何かあってもごまかす技術が高くなる、ということがプロと呼べるかもしれない。
どんなことがあっても耐えられるけど、自分の口から「プロの通訳者」とどうしても出せない。もし言ってしまうと変な自信が出て細かいところまで気を遣わなくなるかもしれない、といった懸念があるからだ。そして、話し手の言葉から離れて自分の言葉に変わってしまう。ミスしても反省しなくなる。わからないことがあれば、確認せずに分かる振りをしていく。
通訳者にとって、非常に危険な行動になる。
通訳者がいないと話が進まないけど、通訳者はある意味、忍者のように目立たない。いるようでいなくて、いるからこそ上手く話が進む。
あとは、外国語と母国語の闘いもある。ネイティブといっても知らない専門用語が山ほどある中で、その専門用語を外国語でも理解した上で技術者のように使わなければならない。言葉は友人でもあり、悪魔でもある。
「プロ」と言えない自分と、自分の活動から伝わってくる「プロ」の行動がずっと続く。言葉を使った仕事はいつからプロになるのか区切れないというのは、言葉のいじめなのかもしれない。
Massi
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