見出し画像

映画『変な家』

最近、映画『変な家』を観た。


映画にはあまり行かないが、興味のある映画があれば観に行く。オカルトやホラーが好きと言うこともあるが、書店でこの『変な家』という本が積み重なっていたのを前から目にしていたので、ぜひ観てみようと思った。

これより、ネタバレを含む点があるかもしれないので、そこはご容赦いただきたい。



大まかな感想から述べると、「結局、そっちに行くのか〜」というのが素直な感想である。私のいう「そっち」とは、グロテスクで怪物的で戦闘的な怖さである。

映画の序盤・中盤はとてもミステリアスで惹きつけられる。家の間取りがおかしい、その間取りの秘密とは?という謎めいた感じにとてもそそられる。

だが、最後の最後のオチのところで、戦闘シーン的な感じになり、謎やミステリアスさではなく、格闘系、血が流れる系の「わかりやすい怖さ」に流れていった。

この傾向は近年の村シリーズと呼ばれる『犬鳴村』『樹海村』『牛首村』にも顕著である。どれも謎や不気味さで怖さを演出するというよりも、グロめの戦闘シーンを持ち出すベクトルでの怖さを全面に出してくる。

「まとめサイト」「倍速視聴」「ファスト教養」などの言葉が巷で聞かれることから、今や謎やミステリアスさという怖さでは、「良い映画」と評価されえないのかもしれない。

近年の観客はわかりにくい伏線や村の伝統などという不気味さでは怖さを感じず、多くの人がわかりやすい怖さ、つまり血が流れる戦闘やモンスター的な怖さを求めるのだろう。

『変な家』も村シリーズもそれぞれの題材としてはオカルト的にも都市伝説的にもとても興味深い。だが、どれもな同じような安易な戦闘的、怪物的怖さに結着してしまうのは、単に映画の作り手側だけの問題ではないような気がする。

そして、他に気づいたことは、我々は「村」や「村社会」「村の儀式」的なものに対して、潜在的に未開的で野蛮な怖いイメージを持っているということだ。近年の映画で言えば、『Village』や『黄竜の村』などに村をテーマにしたものがみられる。

今回の『変な家』にもその村の怖さが取り込まれており、実際に「供養」「本家」という和のキーワードも登場する。

せっかく村を取り入れるなら、安易な戦闘的な怖さてばなく、その潜在的に皆が持つ「村」に対する恐怖心をうまく取り入れて欲しかったと思う。

ただ一方で映画は興行収入も狙わないといけない。あまりに専門な話になってしまってもウケない。コンテンツが飽和している現代では難しい問題である。

頂けたサポートは書籍代にさせていただきます( ^^)