注文を聞かない料理人
Entrée
「遅いですね。」
「そうなるよね。」
「分かってたんですか?」
「俺、ベテランだもん。」
なじみのホテルのメニュー撮り。撮影台の上には何も乗っていない角皿が鎮座している。実際に使用されるのと同じ皿を置いて構図とライティングを決め、料理が来たら、空の皿と料理の乗った皿を取り替え撮影開始である。
準備は終わった。あとは料理だ。アシスタントのミッチーと一皿目を待つ。予定の時間を過ぎても前菜9種盛りが届かない。まだ若く料理撮りの場数が少ないミッチーにはド頭から遅れることが理解出来ないらしい。珍しくは無いんだけどな。特にホテルのシェフが相手の場合は。
シェフは絶対的な存在である。とはいえ別に偉そうなわけでは無い。仕事柄、たくさんのシェフを見てきたが我々外部の人間に対して高圧的な態度をとるようなシェフは1人もいなかった。ただ、多くのシェフには共通した特性がある。
「人の話、聞いてないんだよね。」
「どうしてですか?」
「知らんよ。シェフに理由聞ける人は誰もいないから謎のままなんだ。」
広報の本屋敷さんが申し訳なさそうに一皿目を持って来た。8分遅れ。順調な方だ。しかし本屋敷さんから料理を受け取ったミッチーは明らかに不本意な顔をしていた。先輩、由々しき事態ですといった口調で僕に訴えてきた。
「丸皿ですよ。角皿で準備したのに丸いです。」
「そうね。照明動かそう。」
「なんで丸になったんすかね?」
レフ板を移動させながらミッチーが話し続ける。誤解の無いように書いておくがミッチーは不平ばかり並べてるわけでは無い。単純に不思議なのだろう。申し訳ないけれど僕にはミッチーを納得させる返答ができない。だってシェフだもんとしか。
「別にいいよ。単品なら正円の方が撮りやすいし。」
「そうなんすか?」
「角度変えても丸は丸だからね。長方形とか最悪だよ。皿、回して。反時計にゆっくり。そこでストップ。」
Soupe
「長方形が来ます。」
スープであるはずの二皿目を持ってくる本屋敷さんを見ながらミッチーが虚無な顔で呟いた。言霊ってあるよね。もう用をなさない丸いスープ皿を撮影台から外した。丸皿って言ってたよな。スープなのに長方形か。
長方形の平皿の上にデミタスくらいの小ぶりなスープカップ。その横に予定にはなかったテリーヌが添えてあった。なるほど。
「これ...どう置きます?」
「テリーヌ手前で斜めに。カメラ位置変えるから待って。」
今日は予算の関係でフードスタイリストがいない。本屋敷さんがその役目を受け持つはずなのだが、彼も料理撮りに立ち会うのが初めてとのことで、撮影班が料理のスタイリングまですることになった。ミッチーに小物入れを渡す。
「中に筆とサラダ油が入ってるからツヤ足して。」
「ツヤ?どこに?」
「テリーヌにハイライト足すの。ここ。塗るの。したことない?」
「人物撮影専門なんですよ。」
「人物でも油塗るときあるよ。」
案の定、油を塗る人物撮りって何ですか?とミッチーはたずねてきたがスルーしてセッティングを続けた。そのうち分かるだろう。
Poisson
「魚、予定通りでしたね。」
カンプ。
原稿を作るための絵コンテのようなもの。僕らはこれを参考に撮影をすすめる。A4用紙に出力されたカンプを見ながらミッチーは呟いた。
例によって料理のあがりは遅れたが皿がいきなりアーチ型になることもなくカンプの通りだった。よくよく考えれば当たり前のことなのに嬉しそうなミッチー。
現場に入る数が増える程、些細な当たり前に感謝出来るようになる。
Viande
カンプを渡しながらミッチーに言った。
「ミッチーさ、シェフに聞いてきてよ。肉も変更無しかどうか。」
「どうしてですか?マスダさんが行ってきてくださいよ。」
僕が会ってきたほとんどのシェフには、話を聞かない以外にもう一つ、共通の特徴があった。
「外部から来た女性に弱いんだよ。」
「なぜ?」
「知らんって。とにかく俺の統計じゃそうなんだよ。」
今日のチームで唯一の女性であるミッチーはぶつくさ言いながら本屋敷さんと厨房に入っていった。数分後、カンプを「勝訴」のごとく掲げたミッチーが小走りに帰ってきた。
「変更なしです!」
でかしたミッチー。
「でもですね、シェフと本屋敷さん、味付けがどうとか話してたんですよ。おかしくないですか?サンプルに味は付けないでしょ?」
「付ける人もいるよ。そしてここのシェフは付ける人だ。」
「えー、意味無くないですか?」
意味が無いとも言い切れない。人にはそれぞれ手順というものがあるのだ。
Dessert
先にコーヒーが来た。デザートは例によって遅れるらしい。ミッチーに針を渡す。
「針?」
「コーヒーの泡つぶして。」
「本当だ!泡がぽつぽつ!醤油じゃ無いんですか!?」
「コーヒーの代わりに必ず醤油使うってもんでも無いのよ。ものによっては醤油も値が張るし。」
「分かりました!つぶします!」
ミッチーは撮影台にかぶりつきで泡をつぶす。デザートが来る。本屋敷さんがデザートを置く。ミッチーは泡をつぶす。つぶしながら目の前のデザートを見たミッチーはあることに気づく。この数時間で随分と目が利くようになった。
「アイスが汗かいてます。」
「なんで?溶けないアイスでしょ?」
「なんか普通のアイスっぽいです。」
ショートニングやマシュマロ、あるいはコーンシロップを使うと「溶けないアイス」が作れる。しかし目の前に出されたのは普通のアイスだ。普通のアイスは溶けるよね。
「そこだけは何度も言ったのになぁ...ショートニングでって。本物来ちゃったか。」
アイスが溶け出す前に大急ぎで撮り終えた。撮影中ミッチーは「どうして普通のアイスなんですか?」とは言わなくなっていた。一番成長できるのは、やはり現場だ。
Digestif
「料理撮り、向いてないです。」
機材を片付けながらミッチーが呟く。
「向いてないかもです。」
言葉をかけようとしたとき、厨房からシェフとキッチンスタッフが出てきた。料理の乗った皿を両手に携えて。
シェフが写真のチェックをしている間にキッチンスタッフは手際よく皿を置いていく。シェフからお褒めの言葉を頂く頃にはテーブルいっぱいの料理が並んでいた。
「撮影につかったやつはウチの連中が頂くから、温かいほう食べて。ビールでよかったよね?そちらのかたは?」
ミッチーには少し紳士的なシェフ。ミッチーは僕の顔をうかがう。うなずく僕を見て、じゃあビールでと答えた。図太いな。いいことだ。人に好かれる。
さっきまで撮影していた料理はどれも素晴らしかった。肉料理の味付けは二通り候補があり悩んでいるらしい。両方作ってるから意見きかせてと真顔で言うシェフ。わざわざ味付けする意味はあったんだな。どちらも美味しいですとしか言えない僕達が相手じゃ試食のさせ甲斐も無いだろうけど。
「回鍋肉食べる?」
フレンチで回鍋肉?
「うちのキッチンの田口、中華出身よ。むちゃくちゃ美味いよ。」
ミッチーに決めさせてみよう。
「食べたいです!!」
「タグチー!ホイコーロー」
ミッチーの返事をきいたシェフは心なしか普段よりイケメン風な声で厨房に指示を出した。ミッチー、気に入られたらしい。
回鍋肉は絶品だった。田口くんは気を利かせてお茶碗に白ご飯をよそってくれた。フレンチにお茶碗。ミッチーの笑いが止まらなくなった。
ころころ笑い続けるミッチーを見たシェフが「鯛茶漬けも作ろうか?」とたずねたのでミッチーは腹を抱えて転げまわるはめになった。
ホテルを出た頃には夜も更けていた。
「また料理撮り呼んでください。」
「そうなるよね。」
「分かってたんですか?」
「俺、ベテランだもん。」
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