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森喜朗会長の発言を擁護する―五輪への不満のスケープゴートにするな

森喜朗組織委会長の2月3日のJOC臨時評議会での発言が批判に晒されている。確かに森氏の発言はメディアに切り取られやすく、コロナ禍でのオリンピック開催への風当たりが強い最中においては軽率だったかもしれない。一部を切り抜けば、男女平等の世論に乗せて批判の対象にしやすい発言ではあったが、趣旨自体は正論を含んでいる。

問題の本質は、ポリティカル・コレクトネスの偽善性と、コロナ禍でオリンピックが社会的な負荷になっている現状が相合わさって、森会長なら叩いてもいいとの風潮を加速させたことである。

森氏が指摘するように、アファーマティブ・アクションの数合わせで理事会入りした女性理事が、当を得ない発言で会議を長引かせることは当然予期されることである。文部科学省が女性理事の比率を4割にするとの数値目標を押し付けることが、むしろ歪な人選を生んでしまう。経験が不十分で能力が涵養されていない人物が枢要なポストに就任すれば、合議体において混乱も生じるだろう。

急速に差別を解消していく際に、アファーマティブ・アクションは一定の有用性を持つ。「地位が人を作る」側面もあり、抜擢された人物が期待以上の活躍をすることもある。しかし、属性によって能力以上のポストに就いた人物への嫉妬や差別感情が生じるのも確かである。それを跳ね返すべく、例えば当人が張り切って(必要以上に)会議で発言をしようとしたり、自負心が空回りしたりすることもあるだろう。森氏は、自身が長年携わってきたラグビー協会での理事会運営の経験談をベースにしている。森氏の持つ印象が決して的外れだとは思われない。

しかし、アファーマティブ・アクションのバックラッシュは、スポーツの意思決定機関の理事の男女比率だけでなく、他の分野でも起こりうる。例えば、大学の医学部の合格者に地域枠を設けると、学力の劣る(地元の出身)者が一定数入学する。都市部の学習環境に恵まれた強者が地方の医科系大学の合格を独占することは社会的には望ましくないが、地方出身者を優遇すると逆差別も生じる。入学者の比率における多様性の推進でなく、それ以前の段階で学習支援の拡充などの手当てを行い「能力の平等」を担保するのが先決だろう。

不平等を解消していく「過渡期の現象」として、不都合が生じるのは珍しくない。今でこそ男女平等先進国とされるスウェーデンも、歴史的に見ると選挙でのクオーター制の導入等を通して長期にわたって平等の構築につとめてきた。しかし、その過程は一筋縄ではなく、森氏が指摘する弊害と同種のことも生じた。

今の言論空間の中で、男女平等のポリティカル・コレクトネスが幅を利かせ、その筋から少しでも逸れる発言は「失言」と認定される。正論を含み問題提起をする発言であっても、ひとたびメディアで失言とされると世論の袋叩きにあう。もちろんこれは日本だけの現象ではない。しかし、強すぎるポリコレの偽善性こそが健全な討論空間を歪めることもあるのではないか。言葉狩りの偏狭な側面が、公共的な議論での表現の幅を狭めている。

森会長バッシングには、コロナ禍でオリンピック開催が社会的な負荷になっている現状も背景にある。天災ともいえる新型コロナの感染拡大で、オリンピックが一年延期となり、まだ開催の見通しも十分に立っていない状態である。その間、追加費用の税負担もかさみ、コロナ禍でストレスの多い生活を強いられる国民の格好の批判の的となっている。森発言がこれほどの反発を生んだ底流は、オリンピックへの不満が渦巻いているからこそである。

しかし、森会長はその帰結を予期して、あえて身を挺して「ポリコレ社会」に最後の一石を投じようとしたとも考えられる。森氏には、小泉劇場の一幕として干からびたチーズと缶ビールを手に熱演した実績がある。今回の発言にも、入念な演出と思惑が込められていたと見ても不思議ではない。謝罪会見での一定のガス抜きまでもワンセットで計画されていた可能性もある。齢八十を越えても、大政治家としての血が騒ぐことは確かだろう。

オリンピック開催が不透明な中で、組織委員会のトップとして国際舞台に名を轟かせる森氏が最後の仕事として、あえて「失言」することで世界のポリコレ風潮に問題を提起しようとしたとも深読みできる。むしろ、それこそが本音を地で行く政治家、森喜朗の真骨頂でもある。

森会長は「私はマスクをしないで最後まで頑張ろうと思っている」と発言し、総マスク社会の到来にも警鐘を鳴らしていた。マスク着用の同調圧力が強まる中で、社会そのものが変質していることも確かである。2月4日の会見での記者に対する「マスクを取って」発言も、言論のあり方が偽善性を帯びる現状、大衆感情を背景に糾弾棒を振り回す顔を隠した報道陣に対する森氏なりの皮肉が象徴的に込められていたのだろう。生命体としての寿命が刻々と近づく中で、日本の政界に長きに渡り君臨した森喜朗氏が命がけで伝える本音のメッセージは、表面的な「失言」以上に、コロナの時代を生きる我々の胸に響くものがあるのではないだろうか。


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