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シンエヴァを観る前に~考察とは~

はじめに(長いよ)

 2020年12月現在、『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』の公開まで1か月を切り、世界中のファンは興奮してSNSで騒いだり、終わってしまうことに悲しみを覚えたりとそわそわしています(ダラダラしてたら12月もギリギリ31日になりました)。

 さていきなりですが、エヴァの代名詞と言ったら何でしょうか。


 そう、「考察」ですね。異論は認めません。note初心者なのでどんどんいきます。

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 エヴァは、アニメや漫画、映画など様々な形で展開されている作品ですが、それぞれの物語で多くの相違点や類似点が存在するので、ストーリーやテーマについての考察が星の数ほど存在しています。動画投稿サイトで「エヴァ 考察」と入力すればよく調べられていて納得のいくものから、突拍子もないものまでごまんとあります。考察を楽しむ人と、それを見て意見する人がいたりと、皆が考察を楽しんでいます。
 で、今回そういった創作作品などに対する「考察」について一つ考察してみたので、ここに書き留めています。

 この記事ではエヴァシリーズの内容については全く触れません。しかし、筆者が高校生最後の年、日本最高峰のSF/ファンタジーについての授業を受講し、取り込んだことをできるだけ用いて考えてみたので、読んでくれたらうれしいです。


二つの考察

 作品に対しての考察は考える人それぞれの視点に基づくものなので、全く一緒であるというケースは少ないです。しかしながら私は大きく分けて二つのパターンに分けられると考えました。


「ストーリー考察」

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 一つ目は「ストーリー考察」です。作品に出てくる伏線や登場人物の心情について考えるもので、いわゆる考察と言ったらこちらですね。エヴァのようにコンマ数秒のカットを注視し、文献調査まで行うガチガチのものから、SNSに投稿する感想程度のものまでさまざまです。

 私は作品に触れる度、これが楽しくて楽しくてしょうがないです。自分で作者の意図に気づけたときは頭頂部に雷が直撃したほどの衝撃を覚えますし、他人の意見を知ることで、自分では開けなかった新たな角度で扉を開くことができます。

 問題は次です。


「【作品】考察」

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 SNSで考察を見てみるとこんな人たちに結構遭遇すると思います。

「○○監督らしさがあらわれていたよね」

「××SFのジャンルとしては別格だったね」

「製作費が……、制作陣が……」

 物語の内容についてよりも、その作品が市場に与える効果や、作品が作られた背景などに触れるような人たちです。結構、「こういうところに目を付けられる俺、かっけえ……」のような印象を受けるのですが実際私も頻繁に行っているので人のことは言えません。

 この考察はたいてい、前述のストーリー考察が前提として行われています。キーワードや伏線といったものがどう物語のメッセージ性と関わっているかを理解したうえで、歴史や経済の状況など様々な情報を足掛かりにし、作品そのものやその背景に着眼しているわけです。
 誰しも、ドラマや映画を見る際、自分が視聴し終える前にネタバレされている感想サイトを見ても楽しむことはできないでしょう。まあ、そんな感じです。


 もしかしなくても、これら二つの考察は「ほとんど似たようなものじゃないか!」となるかと思います。似ているなーって思った方はここからこれまで以上に稚拙で大して面白くない文章が始まるのでどうぞブラウザバックしてください。


創作を享受する「わたし」

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 (享受するっていうからこんな感じかなっていう画像探したんですけど、安直すぎですかねっていうオタク特有の早口独り言。)

 ちょっと脱線します。
 小説やアニメなど、創作の世界にのめりこみ始めたのはいつから、と聞かれると私はとても答えづらく感じます。長いですが私の来歴みたいなのを紹介します。

 小学校低学年の頃はハリーポッターにハマり、「呪文一覧」というノートを作成し、暗記しようとしていました。本を読むのを好きな少年ではあったのですが、運動も好きで、非常に健康的な小学生であったと思います。
 しかし何故か5年生頃にはすでに当時刊行されていた分の「とある魔術の禁書目録」を読破しており、小学校卒業時には立派なオタクになっていました。初めて見た深夜アニメは超電磁砲Sで、キルラキルやfateUBWをリアタイしていた小学生時代だったわけです。

 中学校に進学すると部活で忙しくなったことに加え、自意識の、というか羞恥心の発達によってオタク文化から少しばかり離れました。そのおかげかどうかわかりませんが、様々な方向で友人を作ることができました。当時の自分の決断は間違っていなかったと思います。当時の私、感謝します。
 ここら辺についてはまたいつか記事を書けたらと思います。まあ、僕は妄想癖がひどいだけのオタクなので多分書けません。

 中三の部活が終わった夏、人生を変えた一本の作品に出会います。それが『コードギアス 反逆のルルーシュ』です。ここから私の人生の8から9割ほどが創作に染められることになります。
 中二で無事中二病を患い、図書館で三島由紀夫や太宰治、司馬遼太郎を借りていた私は「ラノベとか漫画じゃなくて純文学を読む俺、カッケェ……」となっていたのですが、兄にコードギアスを紹介されたことで、サブカル沼に逆戻りすることになりました。

 しかし、思春期における自意識の発達や、一度純文学に触れたことにより、アニメを一話見るだけでも、監督が何故その話をその回に持ってきたのかなどを考えるようになっており、創作に対する「楽しみ方」が少しばかり変わっていました。ではやっと本題の方に戻ります。


「楽しみ方」

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 前述した二つの考察を、私はそれぞれ、「子供的」「大人的」と自分の中で称しています。これは前者が稚拙であり、後者が乙な楽しみ方をしているとかそういうものではありません。

 私で言うと、中学生までは登場人物の心情を考えたり、主人公に感情移入したりと、純粋に作品を楽しんでいました。
 しかし高校生になると知識量や思考の幅が増えたことによって、監督や著者、当時の世界情勢など、作品の背景も気にするようになりました。
 「子供的」「大人的」とは単純に年齢の進行による作品への態度を示しているものです。

 もちろん大人になっても、いわゆる少年心を忘れず生きている人はたくさんいます。しかし現代は肉体年齢と精神年齢を不一致にさせたまま生きるのはとても苦しい時代かと思われます(ここ、エヴァQ要素)。

 では私は結局何を言いたいのか。


 私はただ、作品を「子供的」、「大人的」に楽しむ両方の人にもう片方の良さを知ってほしい、思い出してほしいと願っています。

 エヴァで言うならば、シンジの心情を考察する人は、なぜTVアニメ版放送当時、彼のキャラクター性がウケたのかを知ってほしい。ヴンダーとΝ-ノーチラス、ヤマトの関係性をSF史から調べているような人は少年に戻って、「あの戦艦、かっこいいな!」と感じてほしい。

 まだ誰も見たことがないエヴァ、シン・エヴァが公開される今だからこそ、両者の楽しみ方を知っている方が、最大限に作品を享受できるぞ!と私は考えているわけです。

 「最後のエヴァもストーリー面白かったー」で終わる人も、ガチガチに集中して上映中にほかの作品のことを思い出す人も、両者の楽しみ方を知っていれば、自分で二回目、三回目を見る際の着眼点を選ぶことができるようになります。

 要するに、もっと楽に、深く沼にハマりましょうということです。

 以上!


おわりに

 読み返してみると、ホントに読みにくく、言いたいこともよくわからない結論もまとまっていない文章でした。まあ、結局のところまだ高校生のク○ガキがなに講釈垂れてんだって話なんですが、最後にこれを書こうと思ったきっかけについて触れようと思います。

 いつだったか、私が「創作作品で、泣かせのシーンだけでなく、戦闘シーンでも泣く」(私はささいな出来事でよく泣きます)と、兄に伝えたら、兄は「その感情移入の心や、美的感覚を忘れてはいけない」と言っていました。

 兄はアニメやドラマ、映画で泣かせのシーンでも泣けなくなってしまったと言っていて、どうしても作品を俯瞰して見てしまうと言っていました。

 私は今のように全力で楽しむことができなくなることを想像すると心からゾッとしました。ゆえにSF史を調べたりするようになった今でも、主人公になりきる心を忘れないようにしていますし、いつかこんな記事を書いてみたいと思ったわけです。


 と、こんなところで終わろうかと思います。もうガキ使も始まるし、キーボードをたたくのも疲れたので。

 拙文をここまで読んでいただき、感謝します。

 また書きたいね。


 読み返すと、ホントまとまってなかった。

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