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寝台列車に揺られながら幸せについて考えてみた


人生初の寝台列車に乗って西に向かう。
個室の中は思ったより過ごしやすく、例えると押し入れの中のような自分だけの空間というのが私を思考の渦に引っ張っていく。

あぁほんとは今日早く寝ようと思っていたのに。

自分の心の中にあるものを吐き出したくなるときはないだろうか。体は眠たいのに、眠れない。答えなんてないのに、とにかくこのモヤモヤを晴らしたい。まさに今その状態。

だから少しだけ、、今日は夜更かししよう。


最近、幸せへのハードルを上げている自分がいることに気づいた。



別に全部持ってるの。幸せか幸せじゃないかって聞かれたら間違いなく幸せ。

なのになんで、なんで、こんなにも虚しいの?
なんで人は一生満足できないようにできてるの?

あれもこれも手に入れて、昔抱いていた夢を叶えたとしても、それを超える誰かや、もっと先に描いていた格上の自分に嫉妬する。

今だって思い描いていたよりも就活がうまくいって、安心を手に入れたはずなのに、何にも満たされない。

それどころか次は入社するまでに何かできることがあるのではと自分を追い込む。
意味がわからないほど高い理想を掲げて、それに向かって生き急いでる気がする。

だけどその理想を叶えるための行動は何もかも中途半端で。どんどん自分が嫌になる。

人生のゴールってなに?
受験、就活の波を乗り越えてきて、次は社会人という波がやってくる。勝手にいつかは安心できると思っていた。でも頭のどこかにある"不安な何か"は一生消えない。まるで鬼ごっこしているかのように追ってくる。私だけ?

就活前の去年の自分から見たら今の自分は幸せなはずなのに足りない。いつになったら不安から解放されるの。

単純に、生きてる間に、自分で自分の幸せのハードルを上げてる気がする。

これが叶ったから次はこれ。その次はこれみたいな。


日常が毎回繰り返されるかなんて分からないのに。
なのに、日々の中で幸せを感じるよりももっと上へ上へと反省したり、美しいと感じた景色にどんどん慣れていって、当たり前にしてしまったり。子供の頃より、自分の幸せへのハードルが上がっていく。

ああ、もっと素直になりたい。

ここに人として生きて、居場所があって、美味しいご飯が食べられることに感謝すべきなのに。承認欲求よりも自分が自分自身を愛してあげればいいだけなのに。

いつかこの"不安な何か"に追われる日々に終止符が打たれるとき、
それは死を意味するのか。

なら人生は結構ハードなのかもしれないな、なんて。

幸せなんだよ。
充分幸せ。
でもそれを捻り潰す自分の思考が嫌いだ。


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