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【映画レビュー】ゴジラ-1.0は設定の作りこみが甘すぎる(ネタバレあり)

 11月3日に公開された『ゴジラ-1.0』を見てきました。世間は絶賛している声に反し、面白くない映画と僕は感じました。つまらないと感じた部分を“ネタバレあり“でレビューしていきます。まだ未見の方はお気をつけてください。

 不満だったポイントは
 ①先が読めてしまうストーリー
 ②甘すぎるご都合主義設定
 ③感動のラストにするための展開

 ①については別記事を作成しました。続き物ではないため、気になる方こちらをご覧ください。

ゴジラ-1.0のあらすじ

 太平洋戦争で敗北した日本。復興へと徐々に向かっていっている最中、怪獣ゴジラが現れて街を壊してしまう。敗戦し、戦力が無い中、神木隆之介が演じる敷島浩一らは未知の脅威にどう立ち向かっていくのか…

ここからはガンガンネタバレしていきます。

ツッコミどころ満載の設定

 最初のシーンからとても嫌な感じがしました。敷島が乗る零戦を修理するために、大戸島に着陸するところから始まります。(本当は壊れていないのですが)

 島に着いた直後、ゴジラが現れます。すると日本兵の一人が「ゴジラだ!原住民が言っていた!」と発します。ここが引っ掛かりました。未知の怪物を見てそれをすぐゴジラと認識できるでしょうか。他にも怪物がいる可能性だってあります。しかも、唯一ゴジラの正体を知っているであろう原住民が全く出てきません。ゴジラに襲われる可能性と隣り合わせの中、どうやって生き残ってきたかも謎です。

 怪獣に兵隊たちは立ち向かいますが、全く歯が立ちません。それどころか返り討ちにされます。ここの描写もおかしい…ゴジラに食べられるなり、踏まれるなりして死ぬのはわかります。そうじゃないのです。

 ゴジラが噛むと、そのまま人をどこかへ投げ飛ばしてしまいます。怪獣がこういう動きをするだろうか。この時点で「もしかしたら、この映画はハズレかも…怪獣の動きじゃないよこれ…」と思ってしまいました。

 しかも、島で襲われた人たちで生き残ったのは主人公と整備兵の橘だけ。しかもどうやって生き残ったか不明でした。


歌舞伎町のゴジラ

この世界は〝作り物〟だと思わされる描写

 島から本土へのシーンと移り変わります。ここで浜辺美波が演じるヒロイン・大石典子が現れます。戦後で誰もが移住食に困る世の中。典子の着ている服はボロボロです。でも浜辺は違います。髪の毛は綺麗で、肌はツヤツヤ。とても戦後間もない人とは思えないのです。この時点でリアリティが失われます。

 海にいるゴジラと対決するシーンがあります。銃撃や機雷が効かない怪獣。強すぎます!ここは絶望感を醸し出すには最高の出来です。ただ、カメラワークが甘すぎる。ゴジラを攻撃し、巨大な水しぶきが上がります。その水がカメラにあたりレンズが濡れる箇所がはっきり現れます。実際に撮ったらそういうシーンなのかもしれませんが、画としておかしすぎます。

 このようなリアルとフィクションが混ざり合う詰めの甘さから〝作り物〟を見ているんだと感じさせてしまうのです。


無から負へ のキャッチコピーはいいと思う

感動に持っていくための構成

 敷島と典子は両者惹かれあっているものの、結婚はしていません。彼女が預かった戦争孤児を引き取り、家族ではないものの、家族のような生活をしています。

 敷島の同僚が「きれいな嫁さん貰って…」と言うと「結婚してません。家族じゃないです」みたいなセリフが帰ってきます。

 この瞬間「ゴジラを倒して、最後は本当の家族になって感動!って感じで終わるんだろうな」と読めてしまいました。最悪なことに、予想通りの結末を迎えました。完全予定調和の作品だと全く面白くありません。

 感動のシーンですよ!今泣くんですよ!って作られると、見ているほうとしては逆に萎えてしまいます。

 やっぱりこの監督の作品は合わないと感じました。感動って人に強要されるものじゃなくて、不意打ちで来るからいいんじゃないのかなと思います。逆に今の世の中はこれくらい分かりやすくしないと受けないのかもしれませんね。世間が絶賛するほど僕はこの作品を楽しみませんでした。それでは。


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