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仕事は何からできているか。

とあるCMを見てふと思った。

仕事って人のためじゃなくて、責任のためなのかなと。

そう思えたのは、薬の調合を自動で行うロボットのCMを見ている時だった。

仕事上、薬剤師さんとの接点はある。

薬剤師さんは毎日とても忙しそうに働いている。

そんな彼らによく寄せられるクレームが、
「薬が遅い」というものだ。

しかしながら、
薬剤師さんにミスは許されない。
ダブルチェックが当たり前だ。

とくに高齢者の薬は梱包するものが多く、機械が梱包された後に、正しく調合されているか一つ一つ目視での確認が必要になる。

薬について不備や不明な点があれば医師に確認を取らなければならない。

合理性に欠ける仕事だと思う。

私が苦手とする仕事なので、本当に尊敬している。

そんな薬剤師さんの助けになればと、機械やAIが開発されているのは私も嬉しく思う。

しかし、本当のところ、どれだけ薬剤師さんの助けになるだろうか。

生産性を下げる大きな要因は、ダブルチェックや目視確認だと素人の私でもわかる。

これに対して、果たしてロボットが助けになるだろうか?

正直かなり難しいのではないか。

ロボットが、調合〜確認までしたものをそのまま患者に出すシステムになれば、かなり効率化されるだろう。

しかしそれでOKと行くことはほとんどない。

なぜかというと、何かあった時の責任がロボットには取れないからだ。

つまり、生産性をあげることより、責任が取れるかどうかが重要視されることが多い。

考えて見てほしい。

薬で何かあったとき、
ロボットがミスをしました。
で納得できる人が一体何人いるだろうか。

ロボット製造元の責任になるのか?
それともロボットを利用すると決定した人の責任になるのか?
ロボットを操作した人か?

責任者は誰か。

そんなことを考えていると、つくづく思ってしまうのだ。

仕事というのは責任から作られているものだと。

仕事は、
誰かが責任を取るから成り立つ。
誰かが責任を被るから成り立つ。
誰かに責任を押し付けて成り立つ。

責任という目に見えないもの。

私じゃない。
俺じゃない。
失敗していない。

そう言いたくなるのはわかる。

一度失敗したら終わり。
この国に蔓延している、そんな不安が読み取れてしまう。

残念ながらこの国で責任を取ろうとする人は早死にする。

良い人ほど早死にするのはこの法則があるのだと私は考えている。

長生きしたければ、
責任は、出来る限り取らず、避けて、ウヤムヤにした方がいい。

責任を取ることが、
カッコいいだとか、
男前だとか、
大人だとか、
優秀だとか、
デキる人だとか、
そんな見栄を張ろうとすると、
この国に簡単に殺されてしまう。

表には君は素晴らしい!と褒め称えながら、
裏ではシメシメとほくそ笑んでいるのだ。

責任を取らない者にレッテルを貼り、恥をかかせ、他人に責任を取らせようとする人間がしぶとく長生きするのだ。

勝者とは成功者ではなく、
長生きした者。

気分が悪くなってきたので、まとめる。

責任には命が伴う。
それを負うのは、たった一つ。

自分の人生だけでいい。

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