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whyがなくて仕事はできるのか。

今でもわからない。

何かの仕事を頼むとき、
なぜ?という動機が省かれることが多い。

何をやるのか。what

そしてどうやってやるのか。how-to

これだけなのだ。

これでは全体のどの部分にあたるのか。
どんな流れなのか見えてこない。


よくプラスαしろ。というが、
前後の流れを把握できない状態で、
それは求めすぎではないだろうか。


そしてもっとわからないのは、このwhyを聞くと不機嫌になる人間が一定数いるのだ。

なぜそれをやるのですか?
という質問が、

なぜそれをやらないといけないのですか?
やらなくてもいいんじゃないですか?

と勝手に変換されてしまうのだ。

反論なんかするな!
いいから黙ってやれ!
言い訳するな!

とお叱りを受けたことがある人はいないだろうか。

whyを聞きにくくなるのも当然だ。


これをすると職場からwhyがなくなる。

それは動機がなくなり、
主体性がなくなり、
働く意味を見失ってしまう。

私は何でこの仕事をしているのだろう。

こんな思いが浮かぶのは動機が失われているからだ。

whyを知りたいのだ。


と言いつつも、私も苦い思い出がある。

とある部下、A君をかなり無闇に不安にさせたことがあった。

いろはプロジェクトで大成功を納めたA君が、ほへとプロジェクトで失敗をしてしまった。

そんな私はA君をほへとプロジェクトから外したのだ。

なぜかというと、ほへとプロジェクトではA君の良さが発揮されていないと考えたからだった。

しかし、A君はどう思っただろうか。

ご想像の通り、
失敗したから外された。
と考えていた。

この時、私は理由を説明しなかったのだ。

何をどのように。
だけ伝えた。

A君はいろはプロジェクトに集中できていなかった。

自己否定をしていたのかもしれない。
私を疑っていたのかもしれない。

そのあと、理由を伝えたが、なかなか素直に聞き入れることはできなかったようだ。

お世辞や励ましに聞こえてしまったのだろう。


whyを説明するのは時にめんどうだと思う。

whyがなくても動く社員ももちろんいる。

ただ私は、whyがなくなった職場は、
人ではなく道具として扱われる職場だと思えてしまうのだ。

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