『コロナの時代の僕ら』
あとがきが特に好きだった。
『コロナの時代の僕ら』パオロ・ジョルダーノ
僕たちは、感染症の科学について何を知っている必要があり、今まさに訪れようとしている「コロナの時代」をどう生きるべきなのだろうか?
200万部のベストセラーと物理学の博士号をもつイタリアの小説家による、緊急事態宣言下の日本の人々への示唆に満ちた傑作エッセイ。
日本語版には、後日談となるあとがきを特別掲載。(Amazonより)
ちょっと読むの遅いかなとも思ったけど、コロナ禍での即時性を超える普遍的に大切なことが綴られていた。
改めて思い返すと、誰も想像していなかったこんな世界になってもう2年が経とうとしていて、その中で外国の当初の様子を知るのはいい機会だった。当時の人々の不安感や、侮り方、他国に対する差別など、今となってはある程度冷静に考えられることに対する混沌とした様子は、もちろん日本でも当てはまっていたんだなとも考えさせられる。
その中で著者は、自身のフィールドである数学的な思考方法で、未曾有の状況に立ち臨もうとしていた。
「R0(基本的再生産数)を下げることこそ我慢の数学的意義」など、対策と期待できる効果を論理的に考えていた。
また、偏見や言葉の使い方で取るべき行動や考え方が歪められていることに対しても、事実や今までの人類の道のりと照らし合わせて、あくまでニュートラルに捉えようとしている。
しかしそれだけではなく、この作品の中にはコロナ禍という特殊な状況だからこそ、自分たちの生活を一度立ち止まって振り返ることの重要性も説いている。
それは著者あとがきに「コロナウイルスがすぎたあとも、僕が忘れたくないこと」として記されている。
もしも、僕たちがあえて今から、もとに戻ってほしくないことについて考えない限りは、そうなってしまうはずだ。まずはめいめいが自分のために、そしていつかは一緒に考えてみよう。僕にはどうしたらこの非人道的な資本主義をもう少し優しいシステムにできるのかも、経済システムがどうすれば変化するのかも、人間が環境とのつきあい方をどう変えるべきなのかもわからない。実のところ、自分の行動を変える自信すらない。でも、これだけは断言できる。まずは進んで考えてみなければ、そうした物事はひとつとして実現できない。
大きな問題について難しく提言するのではなく、勇気あるシンプルさと明快さと客観的な視点で、読み手に大事なことを深く教えてくれる名作。
コロナが終息したとしても、読み返して次の「まさかの事態」に備えたい。
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