『ナイルパーチの女子会』
期待していた世界観があった。
『ナイルパーチの女子会』柚木麻子
商社で働く志村栄利子は愛読していた主婦ブロガーの丸尾翔子と出会い意気投合。だが他人との距離感をうまくつかめない彼女をやがて翔子は拒否。執着する栄利子は悩みを相談した同僚の男と寝たことが婚約者の派遣女子・高杉真織にばれ、とんでもない約束をさせられてしまう。一方、翔子も実家に問題を抱え―。友情とは何かを描いた問題作。第28回山本周五郎賞&第3回高校生直木賞を受賞!(Amazonより)
『BUTTER』で感情振り回された作者、『ランチのアッコちゃん』では想像していなかったあたたかさと面白さを体験したけど、やっぱり今作のような沼感をずっと望んでいた。
正しさに隠れる、同居する感じですごくナチュラルに歪んで狂っている栄利子にゾワッとすると同時に一種の高揚を感じる。歪みの部分だけ切り取ったら一般論からは到底かけ離れているんだけど、耳が痛い正しさと交互に迫られることも相まって、翔子にとっては芯食って思い当たるところもあるってのが面白く、より関係をこじれさせて離れたいけど離れられない感じ、意思に反してもお互いを求めてしまって食い合っている感じが、ウロボロスみたいな姿を思い浮かぶ。
あとやっぱり言葉に出さない自問自答の文章でも、するっと平気な顔して自分本位で狂っているところがゾクゾクする。
言葉を尽くそう。知恵を尽くそう。誰もが自分を有能だと評するではないか。そうだ、自分という人間を知ってもらうために、もっとたくさん翔子にメールを送ろう。
杉下はたちまち不機嫌な顔になった。しまった、と栄利子は慌てる。おぼっちゃん育ちの杉下は女が逆らうと、露骨に機嫌が悪くなるのだ。でも、今はこのわがままな男を返したくないと思った。
ちゃんと他人と向き合うことを続けもせず、自分に原因があることをわかった上で改善を諦め、原因を他者や環境にすり替える、その卑しくも人間臭い感情にのめり込んでしまう。
そして、二人の関係が破綻し、それぞれの生活も崩壊しかけてから、やっと少しの希望に繋がるような気付きやきっかけの欠片を掴み始める。そして、栄利子の場合はそれが自分がかつて破綻させた圭子からの言葉であった。
「そりゃ、どんな関係にもピークはあるかもしれないよ。その女子高生二人がもし生きていたとするよ。二学期が来たら、どちらかにもっと合う友達が出来て、どちらかが寂しさに耐えられなくなって、ぎくしゃくして離れていくかもしれない。やがて進級して、大学も別々になって、もう名前さえ思い出さなくなるかもしれない。でも、二人が大人になった時、街でばったり出会う可能性はあるよ。その時、数分でいいから気分良く立ち話が出来たら、それで十分なんじゃないのかなって私は思う」
友達・親友という関係を、家族以上の何者にも代えがたい存在に神聖化してしまっていた彼女にとっては、少しでも引きずってきたものを軽くさせる救いの言葉だったかもしれない。そして、この感覚は自分自身、30代を超えて、様々な環境ごとに出会ってきた、これから一生二度と会わないかもしれない友人を思い浮かべると、妙に説得力がある。
友達というほとんどの人が多かれ少なかれ何気なく関係を構築できる繋がりを、この二人のようにどんだけ努力してもこんがらがって自爆して作れないさまを経験すると、特別なことをせずに普通に過ごす友人たちの尊さを再認識するし、ラストの二人のこれからには少しでも何かを変える可能性があっていてほしいと思わずにはいられない。
ほとんど泥沼だし、子供が経験する原始的なことで悩み続けて滑稽ささえ感じるけど、これは希望の物語だと思う。
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