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【燃え尽き】「働くこと」をモチベーションに頼りすぎない

明日から、改めて復職のファーストステップを踏むことになった。
お盆まで、まずは午前中の勤務で様子を見ることになった。
上司との1on1などをしながら出来ることを探していく感じになるだろうか。

職場は現場の仕事で、それをバックオフィスとして支えながら、時に私自身現場に入っていくような環境。
毎日イレギュラーが発生して、時に生命に関わるような緊急対応も入ってくる。
目まぐるしい業務の中でも、持続可能性を追求する稀有な職場で、産休・育休は男女問わず皆しっかり取得するし、メンバーに体調不良が出る場合は、当日の休みや早退を申し出たりもしやすいカルチャーを皆で作っている。
私もPMSがあまりにひどい時などは、リモートや早退させてもらうこともあった。

とてもありがたい環境で、私もワーキングマザーという立場でもあるし、十分その恩恵に預かっているメンバーの一人である(現にこうして休職もさせてもらった)


しかし、と考える時がある。
一人ひとりのウェルビーイングを追求するということは、全員が少しずつ日常的に無理をしたり、ある瞬間を切り取った時に誰かが譲歩しているということでもあるなと感じる。
(特に、行政や福祉の場面でなく、会社という基本的には利益を追求する場でそれをやろうとすると、という意味で)

なぜなら、理想的なウェルビーイングの状態は一人ひとり全く同じであるということはないし、(そこと大きく関係していると思うのだが)これまでの生育環境や心身の状態や現在のエネルギーの総量、レジリエンス、年代や性別、持って生まれた能力やこれまで身につけてきたスキル、価値観や優先したいこと、心地よいと感じることなどの何もかもが、十人十色だから。

ある人はプライベートと仕事が地続きで全力投球していて、残業をしても苦ではないと感じている。
もう一人はパートナーがいて、仕事とは別に自分の好きなことに時間をもっと費やしたいと思って仕事の日数や時間を少しセーブしたいと思っている。
またある人はサポートが必要な家族がいて、お金が必要だけれども残業ができないかもしれない。
別の人は、加齢もあって最近心身に不安を抱えていいて、しばしば休まなければならない状態だけれど、それでも何とか仕事をすることで社会とつながっていたいと思っている。
またある人は、役職はついているものの、単身の自分がなぜこんなに残業や休日出勤ばかりしなければならないのか悩んでいて、収入は減っても休む時間を確保したいと思っているかもしれない。

全員の価値観を包含しながら、ある視点(主に経済的な視点になるだろうか)から見れば自分の一時的な不利益を感じたとしても、それぞれのメンバーがそれぞれの状況よく理解していて、かつその職場に少しでも余裕や余白があるのなら、多様性を担保しながら全員が働き続けることを実現していけるかもしれない。
(あくまで、度を超えた怠惰な人、非情なテイカーのような人がいないことが前提とはなるが…)

その職場に少しでも余裕や余白があるのなら…

今の職場は、何度も言うようだが、これまでの環境とは比べ物にならないくらい、多様性を確保することへのチャレンジや、ひとりひとりのウェルビーイングを大切にしようという意気込みだけでなく、日々の小さなことをすくい上げていく感度が高い。
集まっているメンバーも、ひとりひとりが個性的で、各自の持てるものをとても健全に仕事に還元し、かつ成長しようとする意気込みもある人ばかりだ。

それでも、現場仕事であることの厳しさだと思うのだが、タフな時期が続くことが多く、その時期にメンバーか疲弊したり、離脱したりしてしまうことがある。

例えば、メンバーの育休が重なった時。
資格者である必要があったり、そもそもカルチャーやスキルがフィットしない志願者は面接にも進めないこと、また、双方のニーズが合わないなどの様々な理由から、採用活動がうまく進まないことも多い。
また、採用が決まっても、そのときにはすでに人員不足になっていて、トレーニングができない状況になっていたりする。

そうなると今いるメンバーにいつも以上の負荷がかかったまま、かなり長期間タスク的にもメンタル的にも耐え続ける状況が長期化する。

休職者が戻ってくるまでは良かったけれど、その頃にはその状況を持ち堪えてきたメンバーの心身の披露が限度を超えてしまっていまことに気づいたりする(このパターンが、今回の私のバーンアウトだったかも知れないと振り返っている)


ここまで長々書いてしまったけれど、休職→復職のこのタイミングで私が思うのは、「ここからは、働くことにモチベーションを求めすぎないようにしたい」ということだ。

「上司が戻るまで頑張ろう」「私が何とかするしかない」という個人的な感情から、「これをすることで社会がひとつ良くなるかもしれない」という大いなるものの目的まで、いろいろな思いを胸に、タフな期間をやり過ごしてきた。
これらは全くもって私が勝手に思っていたことなのにも関わらず、過ぎてしまえば「あれだけ頑張ったのに」「なんのためにやってきたのだろうか…」という虚無感や、ともすると他責の念まで込み上げてきて、それがさらなる自己嫌悪を連れてきたりした。


だからつくづく今思うことは、動機がなんであれ、これからはそれにとらわれることなく、淡々と、ルーティンを回すように、必要以上にエネルギーを費やすことなく仕事をこなしていくのが良いのではないか、ということだ。

40代となり、自分の体調や家族のライフステージに合わせたりしながら、今の自分にできること、周囲に求められることを確実に行うことで、コミュニティとつながり、社会に貢献していくという形が、これからの私の働き方として建設的かもしれない…

これから私がどんな形の働き方を選択していくにしろ、これまでのモチベーション頼みの(白黒思考でもある)働き方は、そろそろ手放しても良さそうな気がしている。




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