G先生が突然辞めた理由~自閉症児のコトバの威力~
0 前書きと経緯
リクエストがありましたので、過去の記事から派生するお話をひとつ。
そしてこれは、現場の先生方や、発達障害の子どもたちを抱える親御さんや保護者の方々などはなかなかシェアしにくい内容でもあるのかなぁ、と。
「シロウト」の私が、以下、事実と考察を加えてまとめてみようと思います。
1 G先生が、辞めた
私が学習支援のお仕事で、特別支援学級の子どもたちと関わり、主に自閉症のAちゃんを見守り・支援するようになって、1ヶ月ほど経った頃…
教員を定年退職後、市の方で再雇用され、学習支援員の立場でパートタイマーの教師として勤めていたG先生が、有休取得からそのまま、休み明けに職場に戻ることはなく…
このご時世ですから、
「もしやコロナウイルスに感染された…?」
「体調を崩されたのでは…?」
などと憶測をしておりました(私には何の説明もなく、3日が経過していたので…)
現役の頃に大病をされ、大手術をされたとも伺っており、「来年は、もういいやー疲れた!ゆっくり休むわー」などと話しておられましたので、それはそれは想像を膨らませて心配しました…
2 経緯
大心配の所以はG先生の体調にばかりはあらず…
実は休職の少し前に、こんなことがありました。
Aちゃんが、3年生となる来年度から、特別支援学校に行くことが決まったのです。
(↑Aちゃんについては、過去記事に詳しいので、ご興味あれば上記ご参照下さい)
2学年となり、成長と共に、他の子を突飛ばてしまったり、物で叩きに行ったり、唾はきや物を投げるなども多くなってきてしまい、クラスメイトの子の安全という観点から、目外しが出来ない状態となりました。
詳しい経緯は聞いていませんが、G先生から、3学年からは特別支援学校に転入することなった、とは聞いていたのです。
(これを知ったのも担任の先生から、ではない、のです苦笑
個人情報とはいえ、生徒さんの支援に必要と思われる情報も、こちらから取りに行かないといつもいつの日も、知らされません苦笑)
その聞き取り面談が、児童相談所の職員の方とAちゃん一家の間で持たれたようです。
その際、Aちゃんが言ったこと。
「Gせんせいにたたかれた」
と。
それで、学校の方で、Aちゃんのご両親、校長や担任の先生含めた面談が開かれたのです。
そこにG先生も同席することにした、と。
ここまでは、G先生ご本人から伺ったお話です。
3 この件についてのシロウトの考察
校長が授業の合間に、バタバタと教室に来て、担任の先生と私のメンターである隣のクラスの担任M先生と何やら密談されてから、数日後…
出勤後、事務の方とロッカールームで一緒になった時、「先生、お聞きになりましたか?」という形で聞かされたのが、G先生の退職でした。
うむ、、、
なんとも、後味の悪い話。
私の見ていた限り、そのような事実はありません。
そして、後から聞いた話ですが、実は担任の先生も1年ほど前に、Aちゃんから同じことを言われ、問題になったことがあったそうなのです。
(↑これもご本人から聞いた話ではありません)
ううむ、、、
前述した通り、そして前記事にも少し書いたように、Aちゃんはいつもと違う環境に置かれたり、ストレスがかかった時など特に他害行為が見られるので、私がサポートに入った当初、Aちゃんを止めに入る際、後ろから抱きしめるようにするか、間に合わない時は前からAちゃんの両手を掴んで止める、という形になっていました。
担任の先生、G先生共に、他の生徒が叩かれたり押されたりしている現状があればら「しません」「ダメだよ」と語気が強まり、Aちゃんを止めるその手に力が全く入らない、というわけにはいきません…
Aちゃんの記憶や感情として、
「先生に痛くされた」
という感覚が強く刻まれてしまっていたのかも知れません。
実際に、掴まれた手首を見ながら「いたかったよ」ということもありました。
先生方も、そこに対しては謝っていましたが、突き飛ばしたり投げたり叩いたり、というAちゃんの行為自体と、相手の生徒さんのことを考えたらスルーは出来ません。
一体、どうすれば良かったのでしょうか…?
4 誰も悪くない
Aちゃんは、
「Gせんせいをおこらないでね」
とも言っていた、と聞きました。
すべて直接見聞きしたことではないから、どこかの段階でバイアスや偏った見方・感じ方がさしはさまれているかも知れないことは差し引いて…
先生方が、もっと発達障害への知識や理解を深めておくべきだったのでしょうか…?
その上で、もっとAちゃんの環境を整えてあげれば良かった?
もっとAちゃんを観察して、個性や特性を考慮し、こういうシナリオも予測しておくべきだったのでしょうか…?
Aちゃん本人、Aちゃんのご両親と、もっと揺るぎない信頼関係を構築しておくべきだった…?
それとも、Aちゃんの現在の状態が、「支援学級」で支援するには既に困難が生じていたのか…
どれも全くの正解ではないし、それでももしかしたら理由のひとつには当てはまるのかもしれない、と個人的には思っています。
言ってしまえば、私は責任の軽い、期間限定の「センセイ」です。
正直に言ってしまえば、先生という肩書きや役割の果たすべきことをよく知らないし、そういう確固としたものがあるのだとしたら、それを体現し、誰かを導く、みたいなことが出来る器を持ってはいないし、そんなにできた大人ではないと思っています。
よくよく自省してみれば、Aちゃんのことも「引いて見て」しまっている部分があるのだと思います。
一方、3年近くAちゃんを教えてきた先生方は、責任も丸ごと引き受けていただろうから、関わり方は私とはまるで違うものだったでしょう。
ましてや、普通クラスを持たれてきた先生方なら、尚更…
個人的には、ひとりの人間としてAちゃんに嫌われてしまっては、「センセイ」としての私の役割も果たせない、と思っていましたし、基本的には今もその考えはベースにあります。
私に対しても「クサい」発言などがあり、その度私自身は傷ついて「辞めたいー!」と叫んだりしてはいるのですが(苦笑)、Aちゃんが私を「同類」「楽しいことを一緒に出来る人」と見なしているのは確かなようで…
「クサい」発言も、牛乳にはじまり、最近は自分の縄跳びに移行したりしてて、Aちゃんにとっては、言語を獲得したり、感覚過敏を言語化する過程で試行を重ねるトレーニングだったり、コミュニケーションが成立した瞬間(Aちゃんにとっての成功体験)の反復だと考えれば、適切な意味合いではなくとも、何度も繰り返すのも理解出来るようになったというか…私が傷つく必要もないと思えるように汗 この辺りの考察は、長くなりそうで話が逸れるので、また別に記事にしたいです。
自閉症の個性を考えると、教え導く、というスタンスでは、なかなか関係性が作りづらい側面があるのかなと思い、なるべくフラットに、時にAちゃんの世界観に付き合い、2人だけの時間を持つように気をつけてます。
私のことは(多分)嫌いではないけど、心理的にも身体的にも近づきすぎないのが、お互いにとって快適なのかな、というのも最近分かってきたことです。
私がサポートについた当初は、休み時間もトイレに入ってるときも、移動も何もかも見守り、声かけ、でした。
Aちゃんも、かなりストレス溜めてたのかなぁ、とは思いました。
普通に考えたら、嫌ですよね、それって…
どこに行くにも誰かがずっとついてきて、見張られて、何やかんやかと言われ続けて、評価されて…
だから、Aちゃんがトイレに行ったときは、見守りについていくフリして、個室に入るのを見届けたら、あとは自分で出てくるまで私は廊下ブラブラしてます。
あとは、Aちゃんが好きな絵本を、いつでも読めるようにしたり、「疲れた」「やすみたい」と言った時には、教室の一画のマットスペースに行くことが出来るようにしたり。
気分転換の校内散歩も時々行います。
そのまま図書室に行って、絵本を読んで戻ってきたり。
Aちゃんの疲れ方やコンディション次第では、どうにもならないこともあるのですが、それでも、コミュニケーションが取れるようになっただけ、Aちゃんも先生方も以前よりはストレスフリーになったのかなぁと見ています。
G先生には、休憩の取り方、福利厚生について、教職について、様々な面でお話を伺い、同じ教室でとても心強くサポートして頂いていました。
G先生のおかげで、シロウトの私ものびのび働けていたのです。
後日、メッセージカード付きのプレゼントを頂いたり、私もお手紙を渡すことが出来、個人的な感情の部分では少し落ち着きましたが、、、
もっと違う形にならなかったのか。
私にも出来ることがなかったか…
G先生の尽力を無駄にしないために、これから出来ることはないのか…?
残りわずかの「センセイ」の仕事、最大のパフォーマンスで成果を残したいと思うばかりです。
アイディアを形にするため、書籍代やカフェで作戦を練る資金に充てたいです…