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マジメとふまじめの間で~『残酷すぎる成功法則』読書記録・番外編~

※単独で読めます


シリーズで綴ってきた読書感想文の、スピンオフとして。

(前回までの記事、ご興味あれば下記ご覧ください)



適応障害で休職中となってから、根本的に自分自身を見つめなおすためのひとつのステップとして、「成功」や「努力」、「能力」や「幸福」といったことに関して、知識や情報をアップデートして、思い込みを取り払おうと祖試行錯誤の日々が続いている。

個人的に現在のキーワードについてあれこれ考えていて、(かなり)頻繁に私の検索に引っかかってくるのが、この人。


はっきり言って、うらやましい


結論から言えば、ひろゆき氏のYoutubeやAbema TV、ネット記事などでの言説を聞けば、成功とか努力とか能力とか幸福とか、そんなことをひとつも深く考えずに、毎日嫌なことをせずに好きなことを好きなだけして、ダラダラと過ごしていれば、それなりに楽しく健康で、長生きできそうな気がしてくる。(ここ最近の私の言動を全否定することにつながるかもしれないリスクを犯してあえて言ってみる)

「幸せとは何か」とか分析したり、自己啓発本を読んでいるような人はそもそも幸せでも優秀でもない。おいしいものを食べて「うまいなー、幸せだなー」って言ってる人の方がよっぽど幸せだし、自己啓発本読んだり勉強したりするより、しっかり寝て食べてる人の方がよっぽど能力を発揮できる

というようなことを、ひろゆき氏は言っていたが、心からその通りだと思う(爆) 「幸せとは何か?」という問いは、あたかも深遠なる永遠のテーマであるかのように聞こえてくるし、高尚な哲学的問いを抱えながら生きる人間は、あたかも自分が意識高い人間であると勘違いしそうになる。そもそもそんな問いすら必要とせず、目の前にあるものをただ味わい、感謝し、「幸せだな~」と、何の疑問もさし挟まない人のほうが、地でマインドフルネスだとしみじみ思う。睡眠の確保は、どんな自己啓発やルーティーンにも勝るということは、科学的に実証されていることは言うまでもないだろうし。

思考(しかも、ある種の「クセ」のついた)に思考を重ね、その堂々巡りから抜け出すことが難しくなり、目の前のことから乖離する時間が長くなり、あげくの果てに心身のバランスを失ってしまう。そんな人間からしてみれば、世間体を気にすることなく、あるがままの自分の興味や嗜好性を追求し、今現在の境遇を、合理的判断と工夫で最大化しているひろゆき氏はものすごくうらやましい存在だ。

しかし、あまりにかけ離れたマインドを持った存在なので、「私はああはなれない」と、嫉妬は心の底から感じない。ただただ、羨望のまなざし。そして、彼の言説を意図的に自分自身の生活に取り込むことで、もしかしたら私なりにバランスを取っているのかもしれない、と思う。真面目に考えすぎるきらいのある、自分自身のパーソナリティーを痛い程知っているからこそ、タフで、奔放で、時々不真面目で、圧倒的な知識量と語彙を持つ存在に触れて、息苦しさのガス抜きをしているのかも知れない。


真反対の存在に、学ぶ


これはもしかすると、前記事にも述べた、「調整(アラインメント)」のひとつとして機能するのかもしれない、とふと考えた。

もしかすると、私にはビッグ・フォーのバランスだけでは、まだ何か欠けている要素があるのかもしれない。人生全体を哲学的・思想的に捉えがちなところ、少し現実感が薄まってしまうきらいがあるし、スケジュールをタイトに詰めてしまいがちな私にとって、「まじめーふまじめ」間を流動的に行き来することは、今後の人生を豊かにするうえでビッグ・フォーと同じぐらい大切なことになってくる、という気がしてきた。

そして、「笑うー泣く」という、基本的な感情表現も。柔軟で、しなやかに、日々健康的に生活するためには、時に感情を思い切り解放したり、怠惰になって心の底からわがままになる時間も必要だ。

こんなことを、こんな風にまじめに考えているところが、まさに「ふまじめ」や「笑い」を意識して取り入れなければならない人種である、という気がして笑えてくるけれど。

ひろゆき氏は、もしかしたらもう一段上にいて、「哲学的な問いを自身の中に持つ人間ではあるけれど、それをいったん脇に置いたり、手持ちの武器で現実は現実で楽しめたり、現実に変更を加えることで満足や納得ができる人」なのかもしれない、とも思った。そうでなければ、あんなに多様な人たちと言葉によって意見を交わしたり、様々な分野のことについて興味や知識を傾けて、あれほど体系的な意見や見解を言語化出来ないのではないかと思ったのだが、どうだろう…?


最近は、夫婦ふたりでひろゆき氏の言説を楽しんでいる。笑えるし、勉強になるので楽しいし、何より私たちにとっては刺激的で斬新な発想に触れられるので、良いバランサーとなってくれるのだ。

「生きる意味は?」とか「私にとっての幸せとは?」とかを、もう既に問いはじめてしまった人間にとっては、それを内在させつつ、俗っぽい自分を許容してうまく調和させつつ、基本まじめに、時には怠惰な自分を認めて面白がるという調整をすることが、これからの人生を楽に満足度を高められるコツであるような気がする。

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