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書きながら泣くときの、胸の中

文章を書きながら、涙が込み上げて止まらなくなるときがあるのはなぜだろう。

短期連載させてもらっていた、Webマガジン「アパートメント」で自分の連載の最終回を迎えた。

連載させてもらうことが決まったときから全体の構成は考えていて、扱いたいテーマも細かく考えていた。でも、書き進めて行くと少しの軌道修正が後々に大きな変化になることがなんども起こった。悪い変化ではなかったので、大枠だけ崩さないように、指先の走るままに書いた。編集も、事前校閲も無しのメディアである。緊張感もすごかった。

もちろん、もっとカッチリと書いていけば、変化は少なくて済むのかもしれない。でも、いつもの自分のnoteではない場所で文章を書くということはわたしにとっては特別な体験だ。しかも、媒体はアパートメント。様々な人が、様々な暮らしの中で文章を書き、暮らす場所。ご一緒する書き手さんと、もしかしたら何か化学反応も起こっていたかもしれない。そうでないとしても、自分についてしっかり向き合って書いてみたかったのだ。

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実は、最終回がこういう流れで終わるとは思わなかった。

書いた自分が言うのもおかしな話かもしれないけれど、自分が心から感じた気持ちに引っ張られて内容が変わったのかもしれない。きゅっと胸が苦しくなって、久しぶりに文章を書きながら泣きまくった。

文章を書きながら泣くことは、感傷的なエッセイばかり書いているのに、意外とあまりない。画面も顔面もぐしゃぐしゃになるほど泣いたのはこのnoteくらいだろうか。

泣くほどに思いが高まって、それでも書いている時って変な感覚だ。

「ここのところを細かく書いていこう、ここもわかりやすくなるように…」なんていつも通りにあれこれ考えながら書いているのに、些細なことから気持ちが暴走してしまう。

普段、自分の胸にしまっていた思い出や気持ちを取り出すのは、なかなか難しい。ふと街角で昔の恋人と同じ香りがして切なくなる、みたいなことに近いのかもしれない。文章は、書いているうちに気がついたら「大切なもの」にいつのまにか自分の手が触れていたり、近くにいるのに気づかなかったことに、はっとする時がある。そうしてそこを書き込んで行くと、また何か違うものに手が触れる。

アパートメントの連載では、URLの末尾を毎回自由に決めることができる。最終回は「alive」。生きている。あなたもわたしも。

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連載全編


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