Nepal - ネパール へ #6
Day 6. Pokhara - ポカラ
昨日は、チベット難民居住区からPansang Sherpaの待つClub ES Deurali Resortへと戻り、昼食をとって部屋に帰ると、いつの間にか眠ってしまっていた。
夕方近くに目が覚めると、ものすごい風雨が北のアンナプルナの方向から、枯れ葉を巻き上げながら、窓に打ち付けるように降っていた。
しばらく、それが止むのを待ってから食堂に移動して、今回の旅、最後の夕食をいただく。
久しぶりの旅の終点を感じて、少し寂しくなる。
夕食後、部屋に戻り、朝の出来事をいろいろ思い出していると、さっきまで眠っていたのに、またいつの間にか深い眠りに落ちていた。
迎えた最終日。
朝、夜明け前に起きてテラスに出てみる。インド人と思しき家族が山を見ている。
東から登る太陽が朝靄の中、アンナプルナをうっすらと照らしてゆく。
ポカラ国際空港までPansangが、車で送ってくれた。
彼は、ネパール語、チベット語、シェルパ語、英語、韓国語の5ヶ国語を操る。道中、なぜポカラ空港は国際空港なのに国際便の発着がないのかを尋ねると、「空港自体が中国資本で作られて、それを気に入らないインドが定期便を飛ばさなくて、それから一切の国際便が飛ばないままなんだ」と教えてくれた。
詳細や真偽のほどは定かではないけれど、少なくとも、ここにもまた、北に中国、南にインド、という超大国に挟まれたネパールの先天的な地政学的困難を感じずにはいられない。
いずれ、どんな未来がこの国に訪れたとしても、優しいPansang一家に、安寧と健勝がありますように。
こちらは、彼らの本職のシェルパ業についての"Go To Himalaya Treks"のホームページ。
またいつか、彼らに会いに、そして、こんな写真を撮りに、必ず戻って来られる気がする。
ポカラからカトマンドゥへのフライトは、およそ20分。山あいを飛ぶために、欠航、遅延が頻出し、スケジュールが読みづらい。
往路の、あの苦難の道のりに思いを馳せると、何ともいえない不思議な気持ちになる。
このあと、帰路最初の乗り継ぎ地、カトマンドゥに戻った私たちを、最後のハプニングが待っていた。
カトマンドゥでのトランジットが4時間弱あったので、ずっと空港にいるのも手持ち無沙汰で、タクシーをつかまえて街に出る。
30分ほどタメルをそぞろ歩きし、大した発見もないままに、再びタクシーで空港へ。
と.....
ぶったまげた。
人が多すぎて、空港に入れない。そもそも、進めない。
笑いがこみ上げてくる。
久しぶりに、ここまでのカオスを肌から皮膚呼吸で吸収。
こういう、予定調和ではない、デジタル機器や携帯電話には解決することができない何かを、待っていた気がする。
最後は、笑顔で割り込みよろしく、どうにか空港の建屋内に入りラウンジへ。
大幅にディレイしてトリブバン国際空港を出発したTG320便が、スワンナプーム国際空港に到着したのは、シンガポールへの乗り継ぎ便の出発時刻をとうに過ぎてからだった。
到着前に、機内前方の席へと移動させられたトランジット組は、6名。
降機するや否や、小太りの地上係員を先頭に全員で並んで、走る。ゲートが遠い。走る、走る。
地上係員も、上着を脱いで、手荷物検査を通過。飛行機に乗らないのに、ちょっと滑稽。
それでも、ほぼ定刻に私たちを乗せたTG401便はチャンギ国際空港へと降り立ち、おそらく今、世界で一番清潔でスムーズなその空港をあとにして、私たちは家路へとついた。
おわりに
実は、偶然、沢木耕太郎さんのご自宅と私の東京の自宅は、同じ町内にある。
これまで、何度か通りですれ違うことはあったけれど、直接の知己を得てしまうと、その瞬間に何か大切なものが壊れてしまいそうな気がして、声をおかけしたことは一度もない。
昨年、「天路の旅人」を手にした時の気持ち、夢中でページをめくっている最中の高揚、そして読み終えてしまった時の感情。ずっと忘れかけていた何かが、心の中に沸き出すのがわかった。
もしいつか、またすれ違うことがあったら、今度は少しだけ何かを伝えられたら良いな、と思う。
そして、これも数年前のこと。
シンガポールへと発つ前に、齋藤太郎さんと話しをしていたときに、何かの拍子で旅の話しになって、いつもの笑顔で「森田ぁ、ポカラは良いぞぉ〜(正確には、それがポカラだったのか、ネパールだったのかヒマラヤだったのかは記憶が怪しいけれど...)」と言いながら、はいっと貸してくださった「世界の歩き方 〜ネパールとヒマラヤトレッキング〜 篇」と、思い出話しのあれこれ。
ふたつの事柄の間に、全く脈略はないんだけれど、お二方が流してくださった地下水脈に導かれて、今回の旅があった気がする。
太郎さんは言われても困ると思うし、そもそも沢木さんには届けようがないけれど、本当にありがとうございました。
そして。これを書いていた、まさにその時、久しぶりに太郎さんからメッセージをいただいて、それだけでもびっくりしていたのだけれど、開けてみたら沢木さんのことが書かれていて、鳥肌がとまらなかった。
早く会って、ビールを飲みながら、またいろんな旅の話しをしたいし、もしかしたら一緒に北インドあたりの辺境に旅に出るのも素敵かもしれないなぁ。
そして、最後に...
新型ウイルスのパンデミックという得体の知れないバケモノのせいで、マスクにソーシャルディスタンス、延期に中止に果ては黙食... 思いつく限りの青春のあらゆるものを奪いとられた高校3年間を、じっと耐え、くぐり抜けてきた息子。
かつて自分が過ごした3年間に置き換えて想像しただけで、心が折れる。
今回、旅に出ようといくつかの行き先の候補の中から、最終的にネパールを選び、ふたつの地下水脈をポカラ渓谷に流れるセティガンダキ川へと繋げてくれたのは彼だったのかもしれない。
今回の旅で、彼が何を見、何を感じ、この先、彼の中に何が残っていくのか、それは彼にしかわからないけれど、少なくとも、猛烈な砂埃の中にあってもマスクもせず、どんな悪路だって延期にも中止にもならず前へと進む旅程、天空のテラスで話しをしながら食べたいろんなおいしいもの、あの朝起き抜けにとんでもなくでっかい山が視界に入った感動や、真剣に耳を傾けたチベットの人たちの物語り。全く違う場所に届けておいて料金交渉が発生するタクシー。人が多すぎて入場できない空港や、出発時間をとっくに過ぎてから空港中を走り回るトランジット。それより何より、出発の数日前に財布をなくす父親...
まあだから、つまり。世の中、どうしようもないことや、知らないこと、予想だにしないこと、見たことも聞いたこともないことも、大概のことは乗り越えられるし、そういうモノの先に、楽しさや心揺さぶられる発見が転がっているのかもしれない。
この先、どこに向い、どんな景色を目にして、どんな人たちと出逢えるのか。次はひとりで旅に出るのが良いと思う、友だちと連れ立つのも悪くない。
この狭く、そして果てしなく広い地球のどこかに、まだ見ぬ Compassion と Wisdom を探して...
おしまい
ホーチミンシティからシンガポールへ戻る機上で、ネパールでの日々に想いを馳せながら
2024年4月12日
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