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アキタカタ暮らしの美術館|chapter 4

森に暮らし、糸をつむぐ。
魔女さんの家は、みんなの集うところ

土井妙子さん


“魔女さん”と呼ばれる女性がいるらしい。そううわさに聞いていた。
魔女さんは、森の一軒家で糸を紡いで暮らしている。たいへんなおしゃべり好きらしい。その家の敷居をまたぐとなかなか帰れない。昼に帰る予定があっという間に夕方になる。そんな誘惑に満ちた場所だという。

そんな話から、ニヤリと笑う魔女が夜な夜な糸つむぎする像を想像していたのだけれど、ようやく対面できた魔女さんは、話していてこちらまで楽しくなるような、話し好きで人好きの女性だった。糸紡ぎと編み物の名人でもある。土井妙子さんは、森の中の家に犬のトトと暮らしている。


森に暮らす

8000坪。そう聞いてすぐには検討がつかなかった。土井さんの家の敷地の広さだ。「そう、私も計算苦手やから8000って言われてもようわからんで」。800坪でも充分に広いが、その10倍。冷静に考えると東京ドームの半分ほどだ。

広大な森の中で土井さんは、羊毛から糸を紡ぎ、フェルトをつくり、帽子やセーター、カーペットなどに仕立てて暮らしている。母屋はログハウス風の建物で、その横には薪小屋と鶏小屋。もう一棟、スモールハウスまである。

「もちろん畑もあります。暮らしのことは何でもしたくて。ニワトリも卵が採れるのいいなって。スモールハウスは本当は6畳一間にするつもりが、大工さんにお任せしとったらひとまわり大きくなったんよ」

そんな笑い話のような話をしながら、まずは家の周囲だけでもと森を案内してくれた。
「あっこんなところに樹が倒れとる。いただき!薪になる」と楽しげに言って小道をずんずん進む。光がふんだんに入る気持のいい森だった。マツが多く、ナツツバキやソヨゴなど、さまざまな樹木が林立している。道脇には清流も流れていて、緑の芽吹く時期にはさぞ木漏れ日がきれいだろう。ピクニックするのによさそう、と言うと土井さんは「そうなの。家が建つまでは、ここにゴザを敷いて昼寝したりしてました。マムシが出るってまだ知らんかったから」と笑う。

「こうして松ぼっくりが出始めると、マツって枯れるんよ。樹ってそうやって次に命を継ごうとするんじゃね。これはソヨゴ。冬につける実が赤い染料になるの。何度か染めてみたんじゃけど、羊毛は色落ちしやすいから、あまり向かんのかもしれない」

やりたいことをやって暮らすには、この環境は最高だ。「宝の山じゃって言うんです」。
この森は近所のストーブ屋さんに薪を乾かすスペースとして貸していたり、森のようちえんの先生が子どもたちを連れて遊びに来たりもする。魔女さんの森だけれど、みんなの森でもあるのだった。


糸つむぎと羊毛の仕事

母屋に戻ると犬のトトが出迎えてくれた。家の中は広い。中央にはちくちく仕事のための大きなダイニングテーブル。1階奥が台所、2階が寝床。1階右手の薪ストーブには火が入っていた。
今どき糸を紡ぐ、しかも羊毛からというのはとても珍しい。

「糸紡ぎに出会って、もうこれじゃ〜って思ったんです。染めもするし、洗いもします。羊の毛を作品にするまでにはたくさん工程があるんやけど、紡ぐのが一番楽しい」

土井さんは糸ぐるまをカラカラとまわし、糸を紡ぐ様子を見せてくれた。些細な手加減で糸が細くなったり太くなったりする。時間と手間のかかる作業だ。

「できることなら、羊の毛を刈るところからやりたいんです。何度か牧場まで毛刈りにも行ったんよ。でも大変でね、ギブアップ。あと5歳若かったらやったかもしれんけど」

糸紡ぎからでも十分に大変だ。本格的にやる人は珍しく、土井さんが知る限りでは江津に暮らす友人くらいだという。ちくちくワークショップと称して、訪れる人に糸紡ぎやフェルトづくり、編み物を教える教室もしている。

「宣伝もせんのじゃけど誰かに聞いて訪ねてくるんよね。いろんな人が来ます。でもまだ続いた人はほとんどいない。私もこれを生業にして生きていこうと思ったこともあったけど、とにかく時間がかかるから割に合わんのよ。だからここに来るまでは趣味として、普通に会社員しながら子育てしてました」

「せっかくだからちょっとちくちくしてみる?」と誘われ、みなで席につく。教わるままに羊毛を手にとって、専用のカギ針でちくちくつつく。すると毛のもつれができ表面が固くなっていく。それがフェルト生地になるのだ。しばらくみな時を忘れて、“ちくちく”に夢中になった。


これからはやりたいことだけ

「初めてここへ来たときは家も建っていなくて。冬でね、わーって一面雪で。気に入ってしまったんです。本当はもっと山の上がいいなと思ってたんだけど」

ここへ来たのが18年前のこと。土井さんが50歳の時だった。何年もかけて移住先を探し、7年目にしてついに見つけたのが今の場所だった。生まれ育ちは広島市内。結婚してからは可部町に暮らしてきた。

「もともと主人と言ってたんよ。子どもが大きくなったらどこかもっと田舎へ行こうって。可部はすぐにまちになってしまって。それが、主人が突然亡くなってしまったんです。それまでは私もフルタイムで働いてたんやけど、これからはやりたいことだけして生きようって決めて」

この土地を見つけて家を建てたいと思ったが、なけなしのお金では工務店に「これじゃ家は建たん」と言われた。それでもいろんな知り合いにそ相談するうちに「やってみる」と言ってくれる建築家が現れた。土井さんの話を聞いていると、いつもそんな風に誰かがお助けマンのように現れて問題を解決してくれる。


毎週木曜はオープンハウスの日

「いまは毎日好きなことしかしてない。安い年金で何とか暮らしています。私お金があったら全部使っちゃうけど、これしかないとなればそれで何とか生きていける。したいことは山ほどあるけど10分の1もできません。時間は起きてから寝るまでじゃからね、追いつかん」

そんな魔女さんの家は、毎週木曜日、オープンハウスになる。誰でも遊びに来たい時に来て、帰りたい時に帰っていいという。

「おしゃべりだけして帰る人もいるし、ちくちく仕事で私が教えられることは教えたり。いろんな人が遊びに来るんです。

みんなで持ち寄って一緒にお昼を食べたり、お茶したりすることもあります。私は最低限の用意だけ、ご飯炊いてスープだけはつくっとるよって言ってあって。それがすごいご馳走になる時もあるよ。こないだなんか、ローストビーフ食べたのよ」といたずらっ子のようにささやく。

誰も訪れない静かな日は自分の仕事に集中する。少人数なら深い話になる。大人数だったらわいわいと。「大勢になるとてんやわんやして忙しい。あっこで楽しそうな話してて混じりたいのに、こっちでは教えてあげんといけんとかね」


未来のための練習を

驚いたのは、土井さんがこのオープンハウスを「コミュニティハウスの練習」だと言ったことだった。

「オープンハウスができたら、コミュニティができるなって。私はできるならずっとここに居たいんよ、死ぬまで。お金持でホテルのような介護施設に入れるわけじゃないし、ここしかないので。年齢的にもそろそろ助け合って生きていかにゃいけん。もう近いんですよ。そりゃあ助け合いっこしようって言ったら、ある程度覚悟もいるし。だからこれは練習やなって」

スモールハウスを個室として、母屋でみんなでご飯を食べる。お風呂もあるし、トイレも各部屋にはポータブルがあればいいかなという。確かに、こうした環境ではとくに歳を取ると大変なことも多いだろう。薪を運ぶにも、畑仕事にも力がいる。

「だからコミュニティハウスをつくりたいんです。若い人も来ていいし。土地はあるから、ここに家建てていいよって。スモールハウスなら安くできるし、お金がなかったらみんなでつくればいい。年寄りが年寄りの面倒をみる。若い人も。順番じゃね。一人じゃストレスもかかるし無理やけど、力はなくても2人いれば何とか動かせるかなって。若い人も入っとったら力強い。

自給自足は大変だけど、人数が増えれば、好きな人が中心になってやればいいでしょう。大変なときはみんなで手伝って。学校いかん子が時々うちに来て、やりたいことだけで生きていけたらいいなって言うの。私もほんとにそう思うんよね。ご飯つくるの好きな人がいたら、ありがとう!ってつくってもらえばいい。トイレ掃除とかみんなが嫌な仕事は当番制にして」

土井さんの家に多くの人が出入りしていることを考えれば、けして無理な話ではないだろう。シェアハウスの大型版。一緒に暮らすかどうかは別としても「ゆるくでもつながっとったら、いざというとき助け合えるでしょう」というのは事実だ。

何を話すにも目をきらきら輝かせて話す土井さんに、楽しそうですねと言うと「だってほんとに楽しいんじゃもん!」と返ってきた。

「やりたいことしとったら、歳取るのも悪くない。好きなことが一つでもあったら、人ってすごく幸せになれますよね。私はまだまだやりたいことがたくさんあるけ、死ぬまで問題ない。いつまでも元気でおらんとなって。それで筋トレもしてるんです(笑)」

やりたいことをやりながら、先を見据えて人と関わって生きる。誰かに頼るのではなく、自分たちで未来の設計図を描こうとしていることに希望を見る思いがした。そのエネルギーは、いま好きなことを存分に楽しんでいる、魔女さんならではのものだ。

(文・甲斐かおり)


甲斐かおり
ライター、地域ジャーナリスト。日本各地を取材し、食やものづくり、地域コミュニティなどの分野で生きる人の活動を雑誌やウェブに寄稿。著書に『暮らしをつくる』(技術評論社)、『ほどよい量をつくる』(インプレス)


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