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北海道釧路市
やはり変わっていないな、ここは。
まぁ、最初から分かっていた事なんだが。
私は何度もこの田舎町を出ては帰って来て、を繰り返していた。フーテンの寅さん状態。イヤ、今よく考えればマジでそんな感じだわ(笑)。
何だかんだ言って釧路が好きなのだろう。釧路の持つ雰囲気、その空気と気候、食べ物や匂い。それらを心から愛している。
しかし、出て行く時は「もう嫌だ」と思って動いて来た。
何が嫌だって、この釧路の元気の無さ、そして人々の死んだ目に飽き飽きしてしまうのだ。
最初の数ヶ月間は「懐かしいなぁ」とか思いながら過ごす。でも、すぐに我慢の限界がやってくる。
繰り返すが、私は釧路を愛している。だが、どうもここの人は愛せない。
ここに私と話の合う人間など存在しない。ま、たった18万人程度しかいない田舎町なので、当然っちゃあ当然だ。私の様な変わり者と話の合う人間なんて存在しないのは、私が一番、よく分かっている。だからこそ、持ち前の行動力で動きまくったのだ。
話を自発的に合わせようとも思わなかった。彼らの頭の悪さに付いていけなかったし、いつもどこか、心の中でこの街の住人を見下していた(もうそんな事も無い...とは思うんだけど)。
そらー孤立するよね、って話で。でも、それも望んでそうなっていたし、そうなってからストレスも減った(笑)。めっちゃくちゃ生きやすくなった。
ここの住人は、自分の不幸を自分以外のせいにする。市役所、税金、政治家、環境、運...そういった社会構造や自分の身の回りの一部を「なってない」とし、不満をもらしまくるのだ。
釧路にずっと住んでいて、出て行く根性も無いくせに、口を開けば釧路の悪口を言う。
「何も無いところだ」。
「寂れて話にならない」。
...はぁ。言っておくが、それは全て、お前らが原因なんだよ...。
以前、与沢翼氏がこう言っていた。
「国家とは生き物である。」
その通り。当然の話だよ。だって、最小単位はヒトなんだもの。別に改めて言うまでもない。当たり前。ヒト=細胞。でも、この「当たり前」を理解している釧路人はいない。
私としては、ここの住人より悪魔崇拝者とやらの方がずっとマシだと思うね。
だって自分たちの理屈で一つの信念を貫き、命を賭けて神とやらを崇拝しているのでしょう。よっぽど芯が通ってるし、ここの住人よりも遥かにそっちの方が真理に近いからね。そして何より、人間臭いよ。
釧路の人たちには精気が感じられない。それが情けなく、恐ろしく...私は結局、この地に定住出来ずにいる。まるで彼らには「自分」が無いみたいだ。
釧路は美しい。釧路湿原も動物達も、私は大好きだ。
大地という規模で、愛している。
だが、ヒトという規模では、愛せない。
複雑なんだよね。
尤も、この社会に適応出来ない人間の集まり、生きながら死んでいる人間の集まりと捉えると、研究対象にもなるんだけどさ。だから今回帰って来て、改めて観察しているというのもある。
なぜ、そんな奴らが集まるのか。興味があるからね。ひょっとすると、土地が関係しているのかもしれないでしょう?真理探究のヒントになるかもしれない。
側から見れば、ただのヤな奴なんだろうなぁ。私の方こそ変態じゃんね(笑)
何はともあれ、みんなに悪気は無い。それこそ、それぞれの理屈とやり方で、幸せになりたかっただけなのさ。そう言う事にしておこう。
もっともっとバッッッッッッッッッッサリ切れるけど、やめておく。
もし私の研究に興味を持って頂けたなら、是非ともサポートをして頂けると嬉しいです。サポート分は当然、全て研究費用に回させて頂きます。必ず真理へと辿り着いて見せますので、どうか何卒、宜しくお願い致します。