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中庸

久しぶりに北海道に帰ってきてそろそろ二ヶ月になる。

相変わらず実家で甘えてるんだけど、愛する息子が滞在していると言う事で、両親としては満更でもなさそうだ。

一緒にいるだけで親孝行になるなら、これほど楽ちんな事はあるまい(笑)わはは!チョロいもんよ。いいねぇ、メシがタダってのはさ。

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それにしても、親の素行に関してだいぶ許せる人間になったなぁと、今回自分なりに感じている。

以前は全く部屋を掃除しない親を蔑んでいたし、未だに「だらしねぇな」って思う時ある。

ただ、それも笑って言える様になったんだよね。

トイレの掃除の頻度も少なく、風呂の掃除とかも全然しないし、家の廊下にはクモの死骸だの何だの沢山ある。驚く事に、それを何とかしようともしない。びっくりでしょう。

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昔は同じ人間と思えず、どうしても相入れなかった。私は逆にめちゃ綺麗好きで、仕事も家でやるから余計だ。生活空間を大切にする。ミニマリストでもあるから、物をあまり置かない。

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おっ、適当に拾った画像だけど、いいねぇ。まさにこんな感じ。観葉植物なんて絶対に置かないけど(笑)。必要性が分からん。

逆に、私の親は捨てられない。だからゴミが恐ろしく溜まっていく。捨てないから、新しい物も入ってこない。運も、縁も、カネも。その事実も当然、理解していない。自業自得とも感じていない。今や立派なゴミ屋敷だ。恥ずかしくて、誰も家に呼べないよ。アホすぎる。

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...と思いながらも、こんなアホな両親をなぜ笑って受け入れられる様になったのか。

それは、昔に比べて私も少しだらしなくなったからだ。一人暮らしをしても、毎日の様にキッチリ掃除するタイプだった。でも今は、そこまで神経質にやらない。

寝転ぶ男性(モノクロ)

人は、基本的に自分の考えを基準に行動する。「こうあるべきだ、こうするべきだ」と言う基準や信念みたいな物が、みんなの中にもあるでしょう。

そして、その基準に満たない行動を親、そしてパートナーや仲間が取ると、喧嘩になることが多い筈だ。心の中で許せない。

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例えば一緒に住むパートナーがだらしないとする。物を片付けない。ちゃちゃっと動いてくれない。時間にルーズ。それが原因でいつも喧嘩していたとしよう。

そういった場合は、マネをするといい。思い切って、自分も多少、だらしなくなってみる。掃除の間隔をあえて開けたり、朝寝坊してみたり、寝る前の晩酌やおやつの間食なんかも割と適当にやってみたりするのさ。

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すると、自分の中で「だらしない事はダメだ」という「決まりごと」が無くなっていく。そして最終的には、だらしない人も受け入れられる様になる。もちろん、人によるかもしれないけど。少なくとも、私はそうだった。「だらしないのも、悪くねぇな」みたいな感じ。

しかもその後、奇跡が起こる事もある。だらしなかったパートナーが、そのだらしなさを改善したりするのだ。まぁ、そうとも限らないけどね。多分、こちらの行動の変化を見て、「どうしたんだろう?」って思うんじゃないかな。無意識にバランスを取ろうとするのかもしれない。

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注意しなければならない事もある。例えば先ほどの例だと、急にだらしなくなった際、パートナーから「お前らしくないね。どうしたの?」とか聞かれるかもしれない。

その時、「あなたのマネをしてるの」とは絶対に言ってはいけない。なぜなら、やり返していると誤解されるからだ。

「まぁ、私もたまには、ね!」みたいに振舞う。すると、パートナーも段々と意識が変わっていく。不思議なものだ。

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「マスクする人の気が知れない」、とディスる気持ちも分かる。私も未だに理解出来てない人に対して、本当に呆れてしまう思いだ。

だが、たまにはマスクをして出かけてみるのも、悪く無いかもしれん。遊びだよ、遊び。ごっこ。いいじゃない、たまには。

真相を理解しているのに、気持ちを波立てず周りに合わせられる人は、かっこいいと思うね。

そう言う人を、「中庸」と言うのかもしれない。


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