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タイでのエピソード・その84

私とカナヤンはホテルを出て、アソーク通りにあるスターバックスへと向かった。

ここで人と会う約束をしていたのである。

前回既に話したが、私が家庭教師を務めた際、お世話になったお宅の奥さんだ(以下、Yさん)。

さて…本当に久しぶりである。もうあれから8年余り経つ。彼女は今…60歳くらいになっているはず。

と言うことは…そうか。私が教えた子は当時中学2年生だったから…今はもう20歳を超えているのだな。何とも、不思議な感覚だ。

今回、お母さんと一緒に来てくれるのは、その下の妹さんだと言っていた。ただ、ちょっと遅れて後から来るとのこと。

これまた懐かしい。男勝りのサッカー好き少女(以下、Rちゃん)。当時は確か小学校6年生だったからな…。

私に急におんぶをお願いしてきたり、一緒に走り回ったり…本当に元気で楽しい子だった。「わんぱく」という表現にふさわしい。二人とも元気だといいな…。

私とカナヤンは店内に入り、先にコーヒーを頼んで二人が来るのを待っていた。

そうしているうち、一人の女性が来店した。

私の方を見てすぐに気付き、笑顔で手を振る。その瞬間、私の胸の中は懐かしさと安堵に包まれた。あぁ…元気でよかった。

ここ最近、本当にしんどいニュースしか無かったから…Sさんを含め懐かしい面々の元気さに、私は大きな勇気をもらった。そして改めて、「人とのつながり」の重要性を再認識した。

物は色褪せても、こればっかりは色褪せないからね。

私とカナヤンの前に来た彼女に、私はさっそくカナヤンを紹介した。

そして一気に会話が弾み始める。このテンポの良さも相変わらずだ。年齢を全く感じさせない。あの時よりむしろ若返っている感じ。滑舌の良さ、目の力、そして鬼の行動力。背筋もピン!と伸びたまま。さすがだな…着物がバンコクいち似合う女性である。

私と昔を懐かしむ話をしつつ、カナヤンとも健康の話などで盛り上がり、三人で有意義な昼下がりを過ごした。

そして…その子は現れた。

「あ!こっち!」

Yさんがそう言いながら手招きをする。

お!Rちゃんが来たのかな?懐かしいなぁ!昔は一緒によく遊んだっけ。

どれどれ…

…と、その時。私の知らない細身の美人が、私たちの席までトコトコと歩いて来た。

「あ…お久しぶりです…」

おい…お前、誰だよ!冗談だろ…!?

目がクリっとしていて小顔で色白で髪の毛ツヤッツヤで…その…何と言いますか…

こ、ここまで変わるのか、女性ってのは…。

Yさんは笑いながら「変わったでしょう?昔はあんなにワンパクだったのにねぇ!」

おいおい…こんな美人になってるなんて、聞いてないぞ…マジかよ😅

ま、まさかRに私がドキッとさせられる日が来るとは…。

今はもう、サッカーはしていないらしい。東京で金融関係の仕事をしているらしいが、今回私の渡タイのタイミングと偶然重なった為、わざわざ会いに来てくれたのだ。

ちなみに私が勉強を教えていたお姉さんの方も、今は日本でだいぶ出世しているらしい。参りました…相変わらず凄い家族だよ、本当に。

私は皆が元気にしているという事実に対し、私事のように喜んだ。

ちなみにYさん自身はバンコクに住んでいるのだが、旦那さんとは色々あって別居中らしい。向こうは日本で暮らしているとのこと。まぁ家庭の事情ってやつだろうさ。そこは一切、詮索しなかった。

話によると、Yさんと旦那さんの事業共に、コロナショックで大ダメージを受けたらしい。

私に笑顔で色々と話してくれたが、そらーーーー厳しい状況だったみたいだ。親族の不幸なども重なり、YさんもYさんで大きな試練を乗り越えて来たようだった。

ちなみに、ご家族は誰もワクチンを接種していないらしい。あぁ、本当によかった(旦那さんは不明)。

私はあえて、おふくろの死については話さなかった。まぁ、特に理由はない。何となくだ(ただ、私のYouTubeチャネルを見たらしいので、今はもう知っているだろう)。

以前も話したが、Yさんはバンコクで着物の事業を展開していた。バンコクに「ジャパニーズ・キモノ」を持ち込んだ第一人者と言えるだろう。

故に、日本のしきたりや伝統を重んじている。「食」も含めて子供の「しつけ」もしっかりとやってきたんだろう。それは子供のお肌、髪の毛、そして目の輝きを見れば分かる。

そんな彼女だが、持ち前の勝気と根性で、今の荒波を乗り越えている。お世辞にも裕福なタイミングとは言えない様だが、それでも私に自分のコンテンツを持つ際のコツなどを聞いて来た。インスタやYouTube…その辺の展開についてほんの少し、語っておいた。

「出来ることから、やっていきたいんですよねぇ…」

そう言う彼女の瞳は、相変わらず力強かった。Yさんなら、たとえどんな荒波でも乗り越えられるだろう。

子供達もきっと、そんなお母さんを誇りに思っているに違いない。一緒に歩いている姿を見ても、それは明らかだった。

Rにラインを聞こうとしたが…何となく、躊躇した。い、いや、本当に「何となく」、だよ。うーむ…調子狂うわ。

その後四人での話は盛り上がり、小一時間ほど話して解散となった。

Yさんとは改めてラインで繋がったから、今後いつでもお会いできるだろう。

私は今、大阪にいるからね…関空からひとっ飛び。冗談抜きで、バンコクなんて本当に隣みたいなもの。いつでも…いつでも会えるさ。

元気に手を振る二人を背に、我々は店を後にした。

「R、どこ行く?パラゴンにする?」

「ん〜、エムクオーティエの方がいいかな?」

「じゃあプロンポンやな。OK!」

…最後に二人の会話が聞こえた。一緒にデパートを歩くみたいだ。

ふと、幼少期におふくろと手を繋いで釧路の街を歩いた日々を思い出した。

釧路の街を占める、ぎゅうぎゅうの車と人々。

…今では考えられない。

「ゲーム、買っちゃるか!」

「うん!やったぁ!」

…そんな昔を思い出しつつ、YさんとRちゃん…いや、Rさんの末永き幸せを心から願った。

私の視界に入らない存在など、ハッキリ言ってどうでもいい。私は聖人じゃない。

だが、せめて…私に関わる人たちは、いつまでも幸せであってくれ。


その85へ続く—

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