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#2「SNS不必要」論




「井口理と池田エライザがTwitterをやめた。」



彼らには何十万というフォロワーがいたし、そこにはきっとたくさんの恩恵があって、それを手放すことは容易ではなかったはずだ。


だけども、彼らがその「武器」を持っていることで、よってたかって攻撃してくる奴らがいた。その「武器」を「持ち続ける」こと自体が億劫になって、きっと手放すことに決めたんだろう。


某恋愛リアリティ番組の「あの娘」みたいに、この世から去ってしまうものなら、その「武器」は「凶器」になって自分の胸に突き刺さる。



「SNSの取捨選択をしたい。」



ずっとそう思っていた。僕もTwitterを辞めた一人で、理由は、自分にとって意味のないリツイートが流れるTLに嫌気が差したのと、いいねの数と周りの目を気にしてしまい、好きなツイートができなかったこと。


僕自身が無意味な情報に「ムダ」を感じて拒絶反応を起こしてしまうし、きっと周りも僕の情報を「ムダ」と感じてしまうんだろうっていうある種ビクビクした妄想を抱きながら生きているのは良くない、と思ったからだ。


好きなことを発信したいのならinstagramで事足りる。「ストーリー」の誕生で、もっとみんなが今何をしてるのか、わかりやすくなったし、いいねの数も見えなくなった。「親しい友達」の機能で、より情報共有を閉鎖的に行うこともできるようになった。



「うん、待てよ?」



なんで、そんなにいろんなことを考えてまで、僕ってSNSをやってるんだろう。言うても投稿頻度なんてめちゃくちゃ少ない。結局は流れてくる他人の情報をボーッとしながらスワイプしてるだけ。受け手受け手になっているだけだった。


Instagram、Twitter、Facebook、そしてコミュニケーションツールとしてのLINE。多分今多くの人がこれを使ってて、掛け持ちしてる人も多い。


でもちゃんとアクティブに、毎日何かを発信し続けられている人は多いだろうか。



「発信力は、身につけたい。」



今後また理由は明らかにしていきたいが、僕は発信力は兼ね備えている人間でいたいと思う。自分がこういう人間で、こういう生い立ちで、こういう風に日々思っていて。今まで、なかなか人に言う機会なんてなかった。


どちらかというと、自分のことなんて恥ずかしくて言えないタイプだったし、人のことを聞いて、それに相槌を打ったり、なんとなく楽しく過ごしてきた。


僕の大好きなヤフコメ(匿名でYahooニュースにコメントする機能)は割と中学生の頃から続いてる。一つのニュースにコメントしただけで、「いいね」が50000くらいきたこともあったし、割とそこで「文筆的感覚」は身についてきた。


でも結局、「僕」としての鎧をまとった言葉たちではない。僕の情報でもない。やっぱり、「僕」が発することによって、「僕」のブランディングをしていきたい。


言葉というのは常に責任を伴う。伴わなければいけない。そうでなければ、「武器」は「凶器」になってしまう。



「僕」が「僕」であるために。



このnoteで、しっかりと「僕」を発信していきたい。


結局、最後まで論じ切れていない。(笑)

長くなってしまったので、続きはまた。

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