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「個の実存」とブレードランナー

僕の趣味は、学問としての「哲学」です。

限定的にいうと、存在することとは何かを扱った、第一哲学たる形而上学(Metaphysics)なのですが、更に絞り込んで言うと、現代的な主題を扱った、実存主義(Existentialism)です。それは言うなれば、人間は、「生物学的に人間である」という範疇をこえて、何によって、社会・世界の中を生きつつもそれらに還元されない、まさに個としての「人間」になるのか、ということを探求する学問と言えます。

そしてここから、SF映画、それも「ブレードランナー」の話です。「ブレードランナー 2049」が自分の中で大ヒットでした。先週ブルーレイが出ました。

1982年公開の映画「ブレードランナー」は、人間、と、レプリカント(人造人間)、という対立項を提示し、
心がないかのように機械的ともいえる反応に乏しき人間たちと、
プログラムされ、虐げられた運命にあらがい人間になろうともがくレプリカントたちとの、皮肉な対比を通して、
「人間であるとはどういうことなのか?」を問いかけた傑作でした。

去年公開された「ブレードランナー 2049」ですが、
前作から引き続き登場する、人間、と、レプリカントという2つの軸に、今回新たに、身体をもたない「AI」という3つ目の存在が加わり、

それら3つのそれぞれの有り様を見せながら、
「人間であるとはどういうことなのか?」、という問いを更に一段深めています。

そして深めるだけでなく、「ブレードランナー 2049」は、実存主義(Existentialism)に通じる、その問いに対して「答え」まで示しています。映画終盤になって提示されるその答えは、人間・レプリカント・AI 3者の悲哀の中にありながらも力強いメッセージとしてあり、とても感動的です。監督のドゥニ・ヴィルヌーヴ、主演のライアン・ゴズリングはいい仕事をしています。また、前作「ブレードランナー」を觀ているとより深く感じ入ることができます。ぜひ鑑賞して感じていただければと思います。



ところで、「ブレードランナー 2049」の最初のシーンは、タルコフスキー監督の映画「サクリファイス」のオマージュだという意見があります。「サクリファイス」の主題は「神を信じない者が絶望を前にして神にすがり、そして奇跡を見る」ということです。また、この「ブレードランナー 2049」の最初のシーンではまさに「奇跡を見た」というセリフが出てきます。俺は奇跡を見た、お前は見ていない、だから俺とお前は違う、という示唆があります。奇跡を見る、ことで個として屹立し、神と向き合うという、キルケゴール的な原始的実存を読み取ることもできます。
まあ、なんといいますか、冒頭から、「個の実存」について取り扱いますよ、と宣言しているんですよ。この映画、エンターテイメントじゃない、思索的な映画だなあと思います。

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