映画『82年生まれ、キム・ジヨン』が描く女性の生きづらさは万国共通だ


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 チョ・ナムジュによる小説『82年生まれ、キム・ジヨン』が発表されたのは、2016年10月のこと。韓国で生活するジヨンという女性に降りかかる抑圧と、それを巧みに描写した筆致は瞬く間に注目を集めた。こうした特徴の影響か、フェミニズム小説と紹介する者もいる。2018年12月には邦訳版が出版されるなど、盛りあがりは韓国以外の国にも広がった。

 『82年生まれ、キム・ジヨン』といえば、アイリーン(レッド・ヴェルヴェット)の件に触れないわけにはいかない。2018年3月、アイリーンは『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んだと発言し、韓国の女性蔑視者から不当な大バッシングを受けた。フェミニズム小説とも言われる本を、〈女性アイドル〉が読むことに耐えられなかったようだ。何ともバカバカしい。
 アイリーンの件は、韓国も含めた世界中の国々に未だ蔓延る苛烈な男尊女卑のみならず、〈女性アイドル〉への偏見と見下しもあらためて炙りだした。同じアイドルでも、BTSのRMという〈男性〉が『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んだと発言したときは、目立った批判を受けなかったのだから。このあからさまな男女間の不平等は、私たちが解消しなければならない重要な問題のひとつだ。

  2019年10月、韓国で映画版『82年生まれ、キム・ジヨン』が公開された。ジヨン役にチョン・ユミ、ジヨンの夫・デヒョン役にコン・ユを迎えた本作は、大ヒットした。公開初日に13万人以上集め、興行1位に輝くなど、大きなトピックには事欠かない。その勢いは衰えを知らず、日本でも2020年10月に全国公開を果たした。

 本作の物語はとてもシンプルである。ジヨンを通して、女性が受けがちな不公平や差別を粛々と示す。それだけだ。過度にドラマティックな展開に持ちこむ真似はせず、音楽は必要最低限しか鳴らない。役者陣の秀逸な演技やテンポのいい編集で観客を惹きつけようとする手法は、控え目な姿勢に見える一方で、余計な装飾はいらないという制作側の自信が滲み出ている。
 無理にドラマを作りあげなくても、人を描くだけでドラマは生まれるのだ。人という生き物が十分にドラマティックなのだから。人を掘りさげる本作に触れると、そのことをあらためて実感する。強いて言えば、アンゲラ・シャーネレクといったベルリン派の映画を観たときと似た余韻を感じた。

 本作で映しだされる風景は、美しいものが多い。ベランダに佇むジヨン、子どもたちの楽しそうな声で騒がしい公園など、各シーンで見られる撮影技術の高さには舌を巻くばかりだ。明暗のコントラストまで計算された丁寧な映像は、ひとつの絵として眺めていたい場面が少なくない。
 とはいえ、そのような美しい風景で生きるジヨンは、さまざまな困難に見舞われている。女性というだけで抑圧を受け、〈母親〉に対する窮屈な眼差しも向けられる。
 美しい風景とジヨンのギャップは、非常にリアリティーがある。楽しげな様子や暖かい空気が漂う光景も、女性に多大な負担を強いることで成立しているのではないか。そうした視座を本作は崩さない。この視座に気づいた者なら、終幕におけるジヨンの背中から匂う哀愁に、心を打たれるだろう。

 映画『82年生まれ、キム・ジヨン』を観て、女性が生きづらい韓国の現状に想いを馳せずにはいられなかった。OECD(経済協力開発機構)によれば、先進国のなかで韓国はもっとも男女の賃金格差が酷いという。エコノミストは、働く女性にとって韓国は最悪だとしている
 こう書くと、韓国に住んでいない者は、本作にそこまで共感できないのでは?と思うかもしれない。日本ではそこまで盛りあがらないと。しかし筆者は、日本でも多くの女性に支持されると確信している。先述のOECDとエコノミストの報告を読めば、なおさらだ。両方とも、韓国の次に酷いのは日本である。



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