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言葉で楽しむK-POP ライオット・ガールの表情を帯びはじめた(G)I-DLE

 〈널 위한 노래를 해 깊게 더 빠지게 널 위한 춤을 춰 내게 널 갇히게(あなたのための歌を歌う もっと深く溺れるように あなたのためのダンスを踊る あなたを私に閉じこめられるように)〉

 この一節は、韓国の5人組アイドルグループ、(G)I-DLEのデビュー曲“LATATA”(2018)に登場する。本稿を書くためにあらためて再生したら、リリース当時に聴いたときと印象は変わらなかった。多くの新人アイドルグループの歌がそうであるように、質の高いパフォーマンスでファンを魅了するという意志が詩的な言葉に置きかわっている。あるいは、誰かを夢中にさせたいと願う者を描いたラヴ・ソングとしても聴けるだろうか。
 正直、“LATATA”発表時の(G)I-DLEには、そこまで強い興味を持てなかった。デビュー当時はスジン(2021年8月に脱退)を含めた6人組で、メンバー全員キャラが強烈だと感じたのはよく覚えている。ただ、他のK-POPアーティストやグループと比較して際立った特徴は確立されておらず、飛びぬけた存在には見えなかった。リーダーでグループのプロデュースを務めるソヨンが制作に深く関わったサウンドや歌詞は、手堅いかわりに尖ったところがないというのが第一印象だった。

 それでも、サウンドはセカンド・ミニ・アルバム「I Made」(2019)から見事にハマってしまった。アストル・ピアソラ的な3拍子を巧みに取りいれた“Senorita”など、K-POPシーンのど真ん中で先鋭的なアレンジを見せはじめたからだ。ソヨン以外のメンバーも作品の制作に関わる度合いが高まり、セルフ・プロデュース・アイドルとしての側面がさらに濃くなったのも好感を持てた。
 (G)I-DLEの歌詞、というよりソヨンの歌詞に強く興味を抱くきっかけになったのは、(G)I-DLE以外のK-POP作品だった。その作品とは、CLCが2019年1月にリリースしたEP「No.1」である。このEPの先行曲“No”では、ソヨンとCLCのイェウンが歌詞を共作している。EDM的な曲構成やジョナサン・ピーターズに通じる重いキックなどをバックに、ステレオタイプな女性性に従わないとする言葉を重ねていく内容は、瞬く間に筆者の心を魅了した。脱コルセットや韓国の女性たちの間で広まった化粧品離れといった、リリース当時のフェミニズム的トピックと共振するフレーズがいくつも飛びだしてくる。“No”以前も女性たちの連帯を促し、鼓舞するK-POPは多く作られたが、それらと比べて“No”は社会批評の側面が色濃い。

 “No”と「I Made」以降の(G)I-DLEは、社会や権威に対するオルタナティヴを意識したと感じられる表現が多くなった。サード・ミニ・アルバム「I Trust」(2020)収録の“Oh My God”では女性同士の恋を尊ぶようなフレーズが歌われ、MVでも2人の女性がいまにもキスを交わしそうな場面が出てくる。アメリカのレコード会社Republic Recordsとパートナーシップ契約を結び、本格的に世界進出というタイミングで発表された4thミニ・アルバム「I Burn」(2021)では、欧米の市場に阿ることを拒否するかのように、アジア色を鮮明にした。
 忘れてはいけないのが5thミニ・アルバム「I love」(2022)だ。この作品のタイトル曲“Nxde”(2022)は、(G)I-DLEの存在感をさらに高めた。露出ではなく、本来の自分という意味で《ヌード》を打ちだした歌詞は、外見、アイドル、女性への偏見に批判的な視座が際立ち、よりメッセージ性が強い言葉を並べていた。その視座を映像で表現したMVも素晴らしかった。マリリン・モンロー、マドンナ、バンクシーなどさまざまな人物へのオマージュで埋めつくされたストーリーは痛烈な批評精神で満ちあふれ、視聴者の知的興奮を喚起してみせた。ネット上の考察合戦というお手軽な宣伝効果を狙った思わせぶりな曖昧さはなく、こういう物語を伝えたいという明確な志がそこにはあった。このように姿勢をはっきりと示す明朗さも、筆者が(G)I-DLEを好意的に見ている理由のひとつだ。

 デビュー曲から現在に至るまでの(G)I-DLEを振りかえると、彼女たちは作品を重ねるごとに変化してきたのがわかる。活動当初は周囲の期待に応える《誰かのため》という想いを言葉にしてきたが、“TOMBOY”(2022)や“Nxde”では《自分のため》の言葉を歌っている。社会や音楽業界が要請する規範に嵌らず、消費されまいと抗う凛々しさが顕著だ。だからこそ、〈Do you want a blond barbie doll? It's not here, I'm not a doll(ブロンドのバービー人形を求めてた? ここにはいない、私は人形じゃないから)〉(“TOMBOY”)と歌ったあと、“Nxde”のMVではあえてメンバー全員髪をブロンドで染め、女性というだけで受けがちな性的眼差しや過小評価に批判的視座を示した。いわば、マリリン・モンローを筆頭とした《ブロンドの女性》に重ねられがちだったセクシュアルなイメージを拒否するだけでなく、そのイメージを塗りかえてしまおうというところにまで、(G)I-DLEのオルタナティヴな視点は進んだ。こうした飛躍的とも言える視野の広がり方は、表現者としてはもちろん、人としても成熟した彼女たちの魅力となっている。

 その魅力は6枚めのミニ・アルバム「I feel」(2023)でさらに深化した。ル・ティグラ“Deceptacon”(1999)やライノセラス“Cubicle”(2005)といったエレクトロ・パンクを彷彿させるモダンなロック・サウンドが特徴の“퀸카 (Queencard)”、2000年代のエモ系バンドも脳裏に浮かぶ“Allergy”など、より《自分》を強調した歌詞が目立つ。自分たちの考えや想いの変化を(G)I-DLEの物語と重ねる上手さには、ソヨンの秀逸なプロデュース力を見いだせる。
 MVも含め、“퀸카 (Queencard)”と“Allergy”は対をなす曲だ。自信に満ちあふれる姿を歌った前者、逆にネガティヴな感情を隠さない後者という組みあわせは、さまざまな角度から解釈可能な多面的おもしろさがある。それでも強いて言うなら、筆者は“Allergy”のほうが興味深い歌詞だと感じた。ミレニアル世代とZ世代を合わせた造語のMZ、TikTokでダンス動画がバズったNewJeans“Hype Boy”(2022)など、いまの流行りをいくつも散りばめた歌詞は、K-POPシーンの中で異端的存在感が強い(G)I-DLEの孤独を比喩しているようにも読みとれる。たとえば、〈나도 사랑받고 싶거든(私も愛されたい)〉と承認欲求を臆さず歌いながら、ラストで〈빌어먹을 Huh 내 거울 알러지(クソみたい Huh 私の鏡アレルギー)〉と吐きだす歌の構成に、好きな自分の姿でいることの難しさに悩む情動を見いだすのは容易い。多くの思惑や視線に晒されがちな大人気アイドルという立場でありながら、音楽業界や社会が求める抑圧的なルールや女性らしさといったものに抵抗しつづけることの大変さが窺える内容に、筆者は聞こえた。
 そう思わせるのは、次のような言葉が歌われるのも影響している。

 〈나도 want to dance “Hype Boy“ But 화면 속엔 like “TOMBOY” 비웃을 거야 그래 그 boy, oh-oh Oh, god, it’s so funny 말투는 왜 too much dope? 내가 뭔데 성격까지 좋지 않아 그래 맞아 나는 평생 혼자일지도(私も”Hype Boy”を踊りたい でも画面の中で”Tomboy”のように扱われてる バカにするよ そう そのBoy ああ神様 おもしすぎる なぜ話し方があんなにチャラいの? 私はどうして性格も良くないのか そう、私は一生ひとりかもしれない)〉

 この一節は、“TOMBOY” “Uh-Oh”(2019) “Oh My God”など、(G)I-DLEの曲名をもじったと思われる言葉で流行に染まりきれない自分たちを歌っているという意味で、自己言及的と言っていい。しかも流行の象徴として、同じK-POPシーンで活躍するNewJeansを取りあげる言葉選びは、挑戦的に見える。下手をすればただのやっかみにしか思われないからだ。
 しかし、彼女たちはその下手を打っていない。むしろ安易に流行を追わないと示すことで、私たちはアウトサイダーに向けて歌うというアティチュードをアピールできている。そうした思慮深さからは、彼女たちの高いインテリジェンスを嗅ぎとれる。

 (G)I-DLEは、デビューしてから2023年で5年めになる。メンバー全員20代に入り、ガールからレディーへ着実に成長している。それに伴って歌詞を含めた表現は大きく変化し、作品を発表するごとに深く楽しめる側面が増えてきた。
 そういったなかで、彼女たちが弱さもリスナーと共有しはじめたのは非常に興味深い。社会批評や周囲が求める定型にとらわれまいとする強かさを突きつめながら、時には心が折れそうになるという人間臭さも隠さず表現するスタイルは、ビキニ・キルといったライオット・ガールと呼ばれたバンドたちを想起させるからだ。ライオット・ガールというムーヴメントも、音楽を通じて性暴力やルッキズムなどの社会問題に切りこむことで、常識とされる女性らしさや性役割に馴染めない女性たちを繋げた。その志は現在も息づいており、ドリームワイフやバグアイなど数多くの後続バンドが活動している。
 そんなライオット・ガールのエッセンスをK-POPとして鳴らす(G)I-DLEは、やはり飛びぬけたグループだと思う。もちろん、そのエッセンスをアイドルという商業主義の側面も強い立場から表現することに、批判的な意見もあるだろう。ル・ティグラの“Deceptacon”は、まさにその商業主義や消費主義が蔓延る世界を嘆いた曲だ。ゆえに(G)I-DLEを語る際に、“Deceptacon”を引用するのは間違いかもしれない。
 それでも、若さ、可愛さ、セクシーさこそ女性の価値とされがちな世情に批判的姿勢を持ちつづける難業を、K-POPというワールドワイドなフィールドで試みる彼女たちのチャレンジはもっと高く評価されていいはずだ。


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