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坂口恭平との三日間(1)

忘れないうちに日記を書いておきたい。2月24日から26日まで、坂口恭平に会いに熊本へ行った。熊本市現代美術館で開催されている個展「坂口恭平日記」でのトークのためである。アトリエを見せてもらったり、いろいろ交流があるだろうしきっと面白いと期待していたが、期待以上に濃密な三日間だった。

熊本へは新大阪から「さくら」に乗って3時間半。ということは、だいたい宇都宮まで行くのと同じくらいだと思う。なので、最初から、「別のところへ帰省する」みたいな奇妙な気分があった。

駅のロータリーに迎えに来てくれた。噂のポルシェ・カイエンである。色は黒だった。それがちょっと意外で、なんとなく白っぽいイメージのような気がしていた。内装はベージュの革。いい質感である。坂口くんも黒いコートをはおり、車も黒。ダークに輝いているような印象で、それは、「みんなに元気を与える人」という印象よりも、もっと「夜の人」みたいだった。

声は少し高く、いくらか擦れを感じる。勢いがあり、ちょっと雑さもある口調。金髪の横顔。なんだろうなこの感じ、と思って乗っていた。これまで見た写真だと、もっと四角っぽいイメージを持っていた。でも実際に会うと三角だなと思った。

それでしばらくして、諸星和己だ、と思った。そういう派手さ。

まあ、芸能人に喩えたりするのは僕の通俗性で、坂口くんはそういう冗談は言わないから、気に障らなければいいなと思いつつ、でも、僕ならば、今回それが最初のツイートだ、と決まった。

まず酒屋さんに行く。非常に古い倉庫があって、そこはイベント会場に使われており、その隣に酒屋さんがある。建物に囲まれた砂利敷きのスペースに勝手に車を入れてしまう。そして降りて、倉庫の方へ挨拶に行く。黒いコートをマントのようにはためかせ、金髪の姿がのっしのっしと歩いていく。まず女性が、次いで男性が出てくる。駐車を許可してもらい、世間話をする。熊本のアクセント。前に聞いた福岡の言葉とちょっと似ているが、独特の平板さがあり、少しばかり東北を思わせる。

酒屋さんは、こだわりのお店という感じで、セレクションが面白い。お勧めの熊本の日本酒を買う。京都的な風情だと感じる。

坂口くんによると、熊本は古くからの文化的資産があって、文人のネットワークがあり、彼のような存在もうまく取り込みながら文化行政を展開しているようで、九州の京都的な存在なのかなと思った。

帰り際に、かなりお歳の男性と、喫煙所で話す。その方も坂口くんの展示を観たとのことで、ほんとにいろいろやって、たいしたもんだ、みたいなことを言われている。今度は太刀魚漁をやったんだ、これまでで一番の大漁だったんだと坂口くんが自慢する。いきなりそう言われても困ると思うが、それを受け止めてくれる地元があり、彼は地元にしっかりと根を張っている。

金髪に黒いコートで、行く先々で声をかける。皆が彼を知っている。

こういうことか、と思った。なるほどこういうことになっているのか。これはネットではわからない。現場で見なければわからない。

アイドルである。アイドルの存在感である。

僕の周りには強烈な存在感を放つ人たちがいるが、ここまで「アイドルだ」と思わせられたのは初めてだった。芸能人的何かがある。

ここから僕は何を学べるだろうか。この三日で、何かを学ぶことになる。

しかしそれにしても——僕が属してきたのは基本的に、論理の鋭さとか文脈の複雑さを競う世界で、それですごいと言われ衆目を集めるアリーナがあるわけだが、それよりも、「人に元気を与える」仕事から広がる裾野の広さよ、と思わせられる。

お店に予約の電話をしたと思ったら、例の「いのっちの電話」がかかってくる。坂口くんの対処は非常にスピーディーだ。状況を確認し、今何に興味があって、やりかけのことはないかみたいに尋ね、具体的にアドバイスする。じゃあその絵を何枚描いたら送って、のような明確に定義されたタスクを提示する。そして、それがいくらいくらで売れるから、そうなれば困っているお金のことも大丈夫、とマネタイズの算段まで超スピードで提示する。

彼によれば、それで実際に何かを始めることもあるし、ただそういうふうに具体的にやってみて、それで気持ちが解決してしまうことも多いのだという。

リアルタイムでNHKのドキュメンタリーを観ているみたい。

これにもなるほどなあと思った。悩みを掘り下げることはしない。相手の言うことをまずは受け入れ、現実的・客観的に、やれることをはっきり限定して提示する。行動療法の一種だとも言えるし、森田正馬的でもある。

一日目の夜は、アトリエに案内してもらい、獲れて一日寝かせた太刀魚の刺身で日本酒を飲んだ。広々とした空間にテーブルがあり、使い込んだシュミンケのパステルがある。壁には古い家具調のスピーカーシステムがあり、そこにつながれたアンプやCDプレーターも、オーディオ趣味的に面白い選択だ。ほかに二つ部屋があり、ひとつは本格的な録音ができるスタジオで、もうひとつは書斎になっている。書斎には僕の絵を飾ってくれている。

いろいろ話しながらお互い調子よく飲んでいて、千葉さんはけっこう飲めますかと訊かれ、毎日飲むけどそんなに量は、と答えると、坂口くんは普段飲まないのだという。あ、そうなのかと思った。でもそう言われると、わかるような気もする。彼はシラフの人なのである。今日は歓待してくれている。なんだかちょっといいのかなという気もした。彼は贈与の人である。そういう存在として活躍している。だから遠慮しなくていいはずで、それが彼の存在を「立てる」ことにもなるわけで、でも、合わせてくれてるんだろうなという意識がちょっと生じる。

坂口くんは一時期、ホテルマンの仕事をしていたという。VIP対応のホテルマンだった。そういうこともいろいろつながるんだろうなあ、と思う。

スタジオでピアノを弾かせてもらったら、さっそく録音が始まっている。このスピード感。このピアノがどんな反応をするピアノなのか探っていただけなのに、すぐに切り取られて作品になる。音がいい。マイクはノイマンなのだ。要所要所で良いものを使っている。それで、これなら一時間くらいでアルバムができるねと言われたので、それなら、この滞在でやってみようと思った。

(パート2に続く)

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