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脱目的性、それが人間性である(京都新聞連載5)

初出:京都新聞夕刊、連載「現代のことば」、2022年5月。

要するに「何が欲しいんだ」、「何がしたいんだ」という父の問いを思い出す。中学、高校の頃である。何かについて、僕はただ話をしているだけなのだが、「それが欲しいからだろう」、「そうしたいからだろう」と、隠された目的または欲望を見抜けることが有能さであると若い父は思っているようだった。人のふるまいには必ず目的があるという前提。このことを、ネット上でのいろんな衝突を見ていて思い出した。言われていることの意味理解と、それを受け入れるか拒否するかを混ぜてしまっている人がとても多いと思われるのである。

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