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足がつったときには「N068芍薬甘草湯」

久しぶりに足がつった。以前は(酒を飲んでいたころ)毎晩つっては起こされ、神様に「御免なさいもう飲みません」と1時間弱、謝り続けていた。

トイレに行きたくて目が覚めた時につっていたりすると、もう大変である。おしっこ漏れては困るけど歩いていけるはずがない。這っていくにしても少し気を抜くと激痛が来る。ペットボトルにしようかと思ったことも有る。尿瓶の購入も検討した。

酒を量が減ってからは、少しおさまっていた。昨日なにか変わったもの食べたかと思ったら、エナジードリンクを飲んだのだ。僕は買わないのだが、貰い物で、少し飲んでっみた。気持ちが悪い甘さと刺激があった。これが原因だったのだろうか。薬がなくなったのでまた買ってこなくっちゃ。

昨年、友人の家にパソコンを直しに行った時に、この漢方薬を勧められた。彼も毎日ガンガンつるという。頂いて、その日につったのだが、何と飲んであっという間に収まったのである。それ以来の常備薬だ。

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誰がこの薬を最初に見つけたのか不思議でならない。

薬というのは面白い。苦しみから開放してくれる。アウトカム(効果)がはっきりしている。苦痛の姿が見えているのだそして苦痛を感じなくなることで治療は終わる。実にはっきりしている。

生活習慣病の様に検査値の異常を「治してくれる薬」は全く別である。

繰り返して「症状がないと言って甘く見てはならない」「合併症が怖いのだぞ」と言われるが、そんなに単純な因果関係なのだろうか。僕は相関関係であって、検査値を下げたところで意味はないと思っている。

他人と違うのを薬が治すと考えると面白い。

うつや統合失調症も検査値だと僕は思っている。多くの人が感じないことを感じる事を病気だというのはおかしいと思う。

僕が「うつや統合失調症」的な心の形(注)になるのは「格差」が原因だと考えている。随分感じることが少なくなった。何よりも妻に怒鳴ったりすることが亡くなった。

最後に、「格差」について話をしてからである。明らかに妻の態度が変わったのだ。言わなくてもいいだろうっていう一言が無くなったのだ。僕を馬鹿扱いしなくなったのだ。

生活の不安があるから思わず言っちゃうのよと言われる続けて20年

最後の大喧嘩の時は、コロナで売上が消えて、来年もどうなるかわからない。だから会社を潰してコンビニで働けとアドバイスしてくれたのだ(笑)。

来年、父の一周忌なのでそれまで何とかならないようならば死んで保険金貰う様にするから、もう言わないでくれとお願いした。

生活が出来ないならば仕方がない。新発田で自殺した会社の経営者を何人か知っている。一人は中学校の同級生だった。会社の経営者はポンと辞められる仕事ではない。

「言われなくとも分かっていることを言われる」というのには、なにかそれ以外の意図があるのだ。その意図にいかっているのだ。フカヨミのしすぎと言われる。多分本人も気がついていない。

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精神疾患の統計的な数字はよく見る。しかし、格差と関連つけるような統計は見たことがない。

年収、社会的地位、遺産などを相続しているか、父母の社会的地位、資産状況、とにかく、格差のどちら側にいるのかという指標と精神疾患の関係はあると感じている。

精神疾患という「フェイクな病(注)」は薬で治るようなものではない。

僕には精神病院が、「阿片窟」に見える。中国に限らないが、多くの社会では社会の中で苦しんでいる人たちを黙らせるために「感じなくするヤク(アヘン・覚醒剤・酒・炭水化物)」を与えたのだ。

そして逆説的的であるが、「貴族に支配された中国」を滅ぼしたのは「阿片窟」である。

「魯迅」と言う作家は、社会の構造的な問題を指摘し続けた。阿片窟をそのままにはしておけなかったのだ。そして、社会は変われたのだ。今もテレビやネットでは「ビールに缶チューハイ」「パチンコ」「FXや年収倍増のアルバイト」これは異常だと思う前に、多くの人がそんなものがなければ生きていけない社会が異常だと感じる。

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注)「うつや統合失調症」的な心の形

DSM-5(精神障害の診断・統計マニュアル第5版)と言うものが有る。精神病の診断をする時に類型化するものだ。

これは「よく効く薬」が見つかったから、病気が出来たと考えるとわかりが早い。

ストレスが原因で発症すると言われる。ストレスを無くすることが出来ないからこの病気は起こるという。

「ストレス」と言う便利な言葉は問題の本質を隠す。

「したくないことを強制させられる」と言いかえるとだいたい当てはまると思う。逆に「してもらいたいことをしてもらえない(ネグレクト)」ということも有るだろうなあ。

イジメやパワハラというのはとう言うのは統一的に説明がつくと思っえいる。

注)フェイクな病

「結核、エイズ、梅毒、壊血病、骨折、脳溢血」は治療の開始と終了がある。

確かに精神疾患に対しても、薬が要らなくなる場合があるだろう。精神疾患は、世界に対して何とか向きをうとしている時に起きる。「あきらめ(寛解)」た時に治るのだ。

それは薬を使わないで世界に向き合うことでしか実現しない。

根っからの薬嫌いである。

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今日もつった。2日連続である。昼から餃子焼いてビール。

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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。