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予防医学という金のなる木、深川めし、蕪菜の味噌汁、ポテサラ、豚肉のソテー、

昨今の健康ブームは気に入らない。「検査値」がこれから訪れる「災厄」を予告しているかのごとくである。最近、著名な音楽家がガンでなくなった。少し前にガン治療の広告塔になっていたので気にはなっていたのだが、随分治療で苦しんだという。ガン治療の体験記を読めば知れば、それは当たり前である。苦しさは自分が体験するまでわからない。
ガンは早期発見すれば長生きできると言うが、商売人専門医の言うことなど信じられない。統計の数字も効果もすべてアイツラが作っている。


僕の持っていうる本の中に「検査値もの」とでも呼ぶべきものがある。いろいろな統計の数字をひっくり返して、標準の検査値の範囲を日本人に合わせたらこう変えたほうが良いと言うことを書いている。
最初は「医学自身=自分たち」に批判的なのだと勘違いをして熱中して読んでいたのだが、間違えであった。検査値を薬で正常にしても『みな病気になっってしまう』という現象を隠すためであった。「検査値を調べることに意味がない」ということがバレないための煙幕であると気がついた。

ガンの余命診断も同じである。1%でも治る例があったらそこに入れると思うのが人の常である。諦めてはいけないと医者は言うが、諦めたら治療終了である。もう金が入ってこない。
高度治療と目くらましの統計は臨床の医師と患者、そして家族に苦しみを無限に与える。
メディカルキャピタリストよ、骨の髄までシャブロじゃないか。僕はまっぴらである。おいしい食事のほうがいい。



検査値というのは「食事」と「身体(運動もこちらに含んだほうが良い)」の関係を表しているだけなのである。食事が変われば検査値も変わる。

僕の血糖値は、(僕の食事をしている限り)彼らの基準では「糖尿病」ではない。奴らは「糖代謝の異常」とレッテルを貼って薬を売ろうとするが、何れすべての人は死ぬのだ。「多すぎるブドウ糖が細胞を破壊する」という仮設は何もエビデンスを持っていない。
ブドウ糖が多すぎる食事は『タンパク・脂質』が少ないために必要な「生命」が食事の中に入っていないと僕は直感している。時間が来ると半額になる弁当や売られている食事を僕の食事と比較すればよく分かる。

そして大事なことは、「食材」が命を失った時点から皿の上に到着するまでの距離と時間であある。50年前には食事はほぼ家庭だけで作られていた。食事が「商品」となった社会の変化と「多くの病の盛況」の関係を考えればいい。僕のレシピの基本的な考え方である。

僕はII型糖尿病で、医師に長く苦しめられた。薬で血糖値を下げ続けていれば「永遠の命」が保証されると思い込まされていたのだ(笑)。

結局は「食事」が一番の問題であった。運動もいい効果を与えるが、「運動しなければ天罰が下る」と言われてイヤイヤする運動には意味がない。やがて来る「災厄」と「苦しい高度治療」を自己責任とするための医者のレトリックである。そして、医者は医療費という名目で富を得るのだ。

毎年、無料の健康診断のお誘いが来る。大事な人生の時間を使って、受ければ「シカメツラした医者」が精密検査をするようにとご信託いただける。

僕は奴ら商売人を信じない。
家族のことを案じて、毎日食事を作ってくれた母の気持ちを信じる。

がん闘病記読書案内がおすすめ。大変おもしろかった。

とにかく勉強することである。専門家から自由になるにはそれしかない。
自分として生きるためには大変な困難がある。
それが「食事の価値」なのである。


冷凍のアサリを使った「深川めし」である。当然、海外産である。「インターナショナル深川めし」だ。冷凍というのは余り好きではないが仕方がない。エビと2種類を買ってきてあったのだが、エビの方は冷凍に入った時点で少し傷んでいたようである。

妻にはしょっぱいと怒られた。次は気をつけよう(笑)。
炊きあがったら、すぐに寿司桶で冷ます。余分な水蒸気が木に吸われて美味しくなる。
ポテサラを作りながら豚肉をソテーする。
美味そうじゃ。
今日の晩ごはん。
足は治るだろうか、目はもう少し頑張ってくれるだろうか。
老眼で辛い。
今日はきれいに片付いた。
明日は残っている豚肉のトンカツを作る。
蕎麦とかき揚げもいいな。

毎日続けることである。
家族の健やかな人生以上に価値のあるものはない。

2023/04/14





厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。