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2022年の「Diet:正しい食事」 検査値は生活の残像

正しさは人の数だけある。僕の正しさは僕だけのもの。そこを勘違いしてはいけない。「体重」というのは見た目で分かりやすい検査値である。おまけに測定器機器も安い。体重と多くの致命的な疾患には相関関係が在るように見える。おまけに、沢山の商売と結びついている。世の中にデブを「飯のたね」にしている方々は多い。
そして、太らないヒトにはデブが馬鹿に見える。
知識がないから食事が悪く、正しい知識をもって指導すれば「健康」になれると思いがちである。

お盆に随分悪い状態になった。
右耳が聞こえなくなっていき「蝸牛性メニュエール」と診断されて、座っていても動悸がする。これは随分やばい状態だと感じたのだ。

酒が原因であることは分かっていた。5月以降、一週間で1本のウイスキーと毎日ビールや酎ハイを飲み続けていたのだ。僕は禁酒の帝王である。何度繰り返したことであろうや。

今年は辛い一年だった。まだ62歳であるのだが、売上が減り、会社が成り立たなくなったのである。
2020年に父がなくなり、コロナで国体が中止になり毎年売り上げていた金額が200万円減り、2021年も中止となった。今年は、栃木で大会があったのだが僕のシステムは導入しないという決定がされた。4月のことである。

新しいい事業を始めようと思っていたのだが、どうやら生き延びれそうになかった。

諦観の内に酒の量は増えていった。依存というのは緩慢自殺であるというのは実感としてわかる。自営業は辛い。上手く行かなくなったら死ぬほかないのだ。妻や娘にはそれがわからない。
息子も就職が決まらなかった(11月には決まったがこの時点ではまだだった)。妻にしてみれば、どうこれからの老後を生きるのか不安で仕方がない。
家庭内での孤立は深まっていった(笑)。
5月は新しい仕事を探さねばならない所に追い詰められていた。しかし、飛び込み営業など出来る環境ではない。

転機は思わぬところから来たのだ。
「2007年当時からお付き合いのあった新潟県高校文化連盟さん」向けの出展システムの一般公開のGoサインである。3年ほど前に一回中止されたプロジェクトである。
思い切り、やっってみようと思った。駄目だったならば死ねば良いのだ。
高校生の部活動費から出るお金である。国体の売上の1/10である。来年以降に全国で採用されていけばなんとか芽はあるだろうが良いものを作らねばならない。
2022年5月〜7月はまさに寝る間もなかった。おかげで右耳が聞こえなくなった(笑)。本当である。もう目が疲れやすくなって2時間もやっていると頭が痛くなり1時間寝てまた起きてという生活が続いたのだ。

もちろん食事は作り続けた。
妻のパートと娘の仕事がなければどうにもならなくなっていただろう。
それは今も変わらないが..........…。

人は病気の入れ物ではない。

人生に向き合い自分らしい生き方を探す。
高校生の作る作品はある意味「芸術:自分に見えているものを誰かに伝える」というものの本質である。
この数年間の作品データをサンプルにシステムを組んだ。毎日彼らの表現を見た。どうしたら多くの人に「見えている物」を伝えられるかということを考えながらコードに向き合った。
何度も諦めようとしながら挑戦した。

人生に向き合うことに迷っているのは高校生の特権ではない。未来に対する不安、自分の可能性それが生の形でここにある。

やがて、形ができて、妻と娘に見せた。僕は経営者保険に入っているので社長の間に死ねば3千万円いただける。上手く行かなかったらそれをあげるから文句を言うなと話をした。時給で働く二人には想像もできないことだったのであろう。絶句してそれ以来家庭内のイジメは後を絶った(笑)。
諦められたのである。
イジメとは、他人の生き方に干渉することである。コミュニティで共通の価値を見つけようとすることである。文科省やお偉い先生方が人権意識をいかに説こうとも、「コミュニティを維持する」という力は常に最強である。
逸脱者を罰するのはあらゆる人のコミュニテイに見ることのできる当たり前の「律」なのだ。


医師の食事指導は役に立たない。せいぜいでトクホや機能性食品、バカ高いレストランをすすめる程度である。そこには、自分にピッタリの食事はおいていない。家族というシェルターが失われたことが問題なのだ。

9月に入って随分落ち着いて落ち始めている。90kgを落ちたくらいから昔のズボンが入るようになってきた。
時折、一杯やりながら毎日食事を作る。明らかに食べ物の好みが変わってきていた。
ビールがほぼ飲めなくなっている。美味しくないのだ。良いことなのか悪いことなのか?

残念ながら誰にでも効果のある『正しい食事』などというものはない。
ヒトはみな違うのだから。
だから今日も家族のために食事を作る。
素材から食卓までの距離は短いほど良い。
何を食べるかよりどう作られたかが問題なのだ。

伝統を重んじ、ここで手に入るものを大事にすることが大事。

#高等学校文化連盟

厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。