家事は夫婦で分担するな。 みんな自分で出来るようになろう。 私達はいつか一人で孤独に死ぬ。
noteを見ていると家事分担の話が出てくる。奥さんばかりに押し付けないで夫さんもやりなさいと言う内容である。
それなりの分量が有るので、実際に多くの家ではそうなのだろうと思う。
家事分担と言うと、「料理は私が作る方後片付けはお願いね」というようなものだろう。
夫が料理しても後片付けしなかったりかえって大変だから後片付けもしなくていいと言われる。まさに2015年くらいの我が家のことであった。そこ当時、僕が全面的に料理を始めた時は大変だった。その時の話である。
いつか一人になる
年取って、自分のパートナーがなくなたときのことを考えよう。無論、財産が有ればすぐに結婚相手も見つかるだろう。年取った人に世話してくれる人も見つかる。それなら良いのだ。財産の使いみちだし、責められることでもない。僕もうちの妻の貯金がなければ生活が成り立たないのだから、会社の経営者と言っても、「紐職」の人のようだ。いつかyoutubeがブレイクするよって、もう騙されてくれない(笑)。せめて生命保険の入る内にあっち行かねば。
「幸運な病のレシピ」と言う仮説は、商品化された食事が死ぬ前の10年間を辛いものにするということだ。「素材から作った食事」が重要だということだ。
すでに消えた50年前の世界
50年前の世界は、今からは想像も出来ないほどに違っていた。この社会の変化が多くの問題を生んでいると思っている。
それぞれの家は三世代で維持されていて、年取って食事を作れなくなっても次の世代が作ってくれて年老いて死ぬまでともに生きてくれる家族がいた。社会が小さくて循環していた時代なのだ(注)。
そんな時代はもう消えた。僕はその時代の当たり前の食事がっ商品化された食事によって破壊されたことこそが今の時代を生んでいると思う。
嘆いても仕方がない。もうこの時代に向き合う他ないのだ。
医師も栄養学者も当てにはならない。他人の病気が商売のネタなのだから。自分自分で、命を守る行動をするのだ。
ではどうすればいいか
やがて人生のパートナーとも生き別れる。その後でも食事を素材から作れるようになっていよう。
皿洗いしか出来ないオヤジは妻が死んだらおにぎりと缶チューハイの年寄になる。たまに来る子供も小遣いもらって寿司食って帰るだけだ。男女の平均年齢の差は、女性が食事を作っているということを意味している。女性が死んだあとの男の寿命は短いのだ。
家事の分担というのは、互いの生活のディールだ。少しでも楽して相手をコントロールして自分の望みを通すための手口だ。家庭というのは、ディールの場ではない。それは会社や学校に任せよう。せめて、家庭では互いを愛し無償の時間を過ごそう。家族のために報われることの無い時間を過ごすのは損だというのは間違いだ。
しかし、そレが難しい(僕の体験はまた今度書きます)。
誰かに与えなければ自分も与え返してもらえはしない。
無償の愛を僕は信じる
出来るだろうか、僕は宗教など意味がないと思っていた。神への無償の愛などというのは馬鹿なことだと思っていた。長く、そう思っていた。
2016年に母は亡くなった、その何年も前から米も炊けなくなり、何度も鍋を焦がした僕が食事を毎日作った。母が逝ったあとで僕に残された空虚な穴が何をしても埋まらなかった。父と5年過ごした。今年、父は逝った。
僕は夢を持つ
私達はいずれ施設で一人暮らさねばならない運命である。では、その施設で食事の価値を信じてもらおう。冷凍の高齢者用の食事をぽんとさせれるのではなく素材から大切に作った食事を食べて老後を過ごしたい。
母は何かとおかずを作っては近所に配っていた。僕も少し前までおでん作ったりしていたが持っていっても迷惑がられる(お返しができないからいらないと言われる)のでもうもっていけない。けどね、「スーパーのおかずしか買えない年寄」くらい可愛そうなものはない。若い連中は、まだいい。そういう連中向けの食べ物屋は多く有る。
まずは自分で毎日自分の食事を作っていく。自分にできないことを他人にしてもらうわけには行かない。僕が信じている食事の価値を伝えるには僕が信じていることを伝える他ない。
金銭的な見かえりを求めては普通の商売である。商売になったらコストダウンがつきものだ。そんな食事が僕たちを殺しているのだという事を忘れてはならない。
もっとみんなに(僕も含めて)、地元の農家の作った小規模の素材を買ってもらいたい。この土地で生きる人同士でともに生きていく他ないのだ。
僕は「百年しばた」というNPOの主催者だ(注)。何とか高齢者向けの食事のボランティアをしたい。税金を使わないで、年取った人たちに毎日食事を配りたい。ここで生きていく他ないのだから。僕を生んでくれた母が愛したこの土地になにかお返しをして、いつか静かに死にたい。
いよいよ宗教家である(注)。
注)社会が小さい範囲で循環していた時代
1950年代ぐらいまでは、物流はこんなにはなく、、小さな範囲で経済が閉じていた。「家庭=企業(商店や農家)」であって、早い話が結婚することでM&Aがなされ、企業規模が大きくなる。何処かの家に嫁に行くことは就職である。次男以降の子供は分家して何らかの派生的な仕事を始める。
僕の母の実家は、長男が東京に出ていって、末っ子が不動産業をはじめて、次男は材木屋をして、建築会社に材木を納入した。
そしてそれぞれの家では、子供何とか都合(注)して、家業を継ぐ。奥様は総務部長で、旦那は社長であって、隠居した大旦那は家族で面倒を見ていた。
注)三世代住宅とはなにか
私達は、三世代住宅というと、単純に三世代が一緒に住む家を考える。
大間違いだ、これほどの馬鹿な間違えが生まれたのは誰の責任だろうか?三世代住宅というのは、「家庭=職場」という形式が成り立った時代の「資産家」の家の形態なのだ。
当然、農家なり商店なりは跡取り(長男)が一人で財産を受け継ぐ。それ以外の子供は皆長屋に住んだり、暖簾分を受ける。
この時代のことを「循環型経済」と呼ぶ人もいる。しかし、ほとんどの経済学者jはこの社会の変化を見ようともしない。気が付きもしない。ばかじゃないのか(笑)。
注)いよいよ宗教家である。
宗教家とは、他人に見えないものや聞こえない言葉を聞く才能だ。
今の世の中、そんな声が聞こえる人は「統合失調症」とか「うつ」とかいわれる。まともに生活が出来ないと言われ、入院や投薬される。僕ももう少しで人を殺すところだった。こんな世のなかでは、そちらのほうが当たり前だ。
父母のおかげで僕は何とかこの声を聞いていくことが出来た。
僕は、自分に聞こえる声を信じる。
厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。