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素材からプロセスを大事に調理する。厨房は「延長された自己」

商品化された食事は、年寄に向かない。スーパーで売っている弁当の対象年齢はずいぶん若い。惣菜は少しは年とった方に向けたものも有るが、いかんせん量が少なく高い。老人向けの冷凍宅配も数回注文したことが有るが、量が少なく(ご飯をで満腹を調整する)、弁当タイプなので自分の好きなものを食べるということは出来ない。

商品として利益を出そうとすると当然「そう」なるのだ。自分が80歳になったときにどんなものを食べているか考えてみるといい。食事を作ってくれるパートナーが居る人は、その人とともに生きれなくなったときのことを考えよう(注)。

今の生活を続けていたら、どうなるか考えてみたほうがいい。

そして、医学が決して言わないことが有る。

「皿の上のバランスなどではなく、素材を大事にして毎日家庭で料理を作るということだ。」商品化された食事こそが、薬を処方されながら手術を繰り返す生活を招くのだ。


医学は老人を隠すことで不老不死を実現した。

これが大事だ、自分の未来を予想するのだ。やがて私達は老人になる。

そして辛い人生を送る。栄養学や医学(権威)が指示する生活をしていたら確率的にそうなるのだ。老人になる前に多くの人は生活習慣病(検査値の異常=行政用語)そして合併症(心臓・腎臓・眼底)、脳(若年性アルツハイマー、認知症)、そして全身に現れる手のうちようのない膜の炎症(膠原病・難病)が始まる。

運良く生き残っれても、半分は繰り返しガンを発病して、残り半分も沢山の種類の薬を処方され何度も手術を繰り返して、「経管、輸液、胃瘻」の辛い人生の終わりを迎える。

「再生できない組織や臓器」の早すぎる「死」が起こるということだ。医学の発展は、一部の臓器や組織が壊れても外科的な施術で生きることが出来る(注)。

あなたはどのルートを通る?

商品化された食事が多くの災厄の元なのだ

僕の身体は食事を変えたことで明らかに良くなっている。恐らく老化に対しても効果がある。しかし、エビデンス(比較する対照群も)はない。自分の身体で確認するだけだ。僕の食事ルールは僕自身しか意味がない。

そうして、毎日食事を作ることは大変だ。僕はどんなに大変だと言っても、それだけの価値がある。

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無論冷蔵庫の維持も重要だ。何を食べるかは仕入れ担当(妻)がお店に行って季節のものを買ってくる。安くなっている魚や旬の野菜、定番の鳥豚牛を絶やさないように買う。僕は悪くなる前に材料を選択して、メニューを考える。数日のスパンで「根菜、葉物、肉魚」を食べるように組み立てる。

世の中のレシピ情報は、「簡単、時短、馬鹿でもできる、これで十分医者の太鼓判」で溢れている。

何かを売るためには、求めている物を提供すればいい。私達は健康に対しての恐怖に満ち満ちている。そして食事が原因だとうすうす感じている。なんとかしたいと思いながらも、500円で満腹になる食事が売っているのにそれ以上の「コスト」をかけることなど考えもしないのだ。

その上世の中の人々は、「厨房仕事」を馬鹿にしている。『最新の調理器具を使って、最高の食材を揃え、ネットの情報があればあっという間に最高の食事が手に入る。医師や栄養士の太鼓判付きだ。』それが間違えなのだ。

母の背中から僕は学んだ。家庭で料理を作るということの素晴らしさも、大変さも、苦しみも見ていた最後の世代だ。だから毎日youtubeに料理作りをアップする。

美味しさのは訳がある。

スーパーの煮しめなども食べると呆れるほどまずい。柔らかくなるように蒸して素材の水分を飛ばし、ダシにザパッと通して全部のパックに偏りがないように並べる。「商品化」とは、生命の抜け殻の食事である。

先月から、ぬか漬けを作っているのだが、売っている物とは比較にならない。ぬか漬けというのは、糠床で生命を育て、それを食べるのである。私達は「食物連鎖」と言われる食事を通した生命の流れの中に生きているのだ。無論、「塩むすび」も「カップ麺」も食物であるし、僕も大好きだ。しかし,炭水化物は美味しすぎるから食事の中から大事なものを押し出してしまう。昔は炭水化物を毛嫌いしていたが、今ではそうではない。嗜好品は程々に楽しむのだ。酒もな!

食事の中の生命とは何か

医学や栄養学は、食事の重要さを何も分かっていない。数樹種類の欠乏症と単純に因果関係の分かる栄養素が皿の上に乗っていれば後はバランスが良ければいいという(注)。

食物の中に存在する「細胞と、その細胞が漂っている水こそが重要なのだ。「動物ならば血と間質液と細胞の中の水溶液」植物も同様である。その水分の中にはあらゆる代謝物が入っている。

例えば鉄が不足して貧血になると行って鉄のサプリを食べる。しかし、身体の中での鉄の代謝を考えてみればいかにナンセンスか分かる。

50リットルの身体の水の内「5リットルの赤血球を含んだ血液」は血管の中を高速で流れる。20兆個の赤血球は120日の寿命で「毎秒120万個」が脾臓で破壊される。一つの赤血球には1億個のヘモグロビンが詰まっていて、1つに付き4つの鉄の元素が入っている。その鉄の元素は脾臓で取り出され、骨髄(大腿骨などの血液の生まれる場所)にまで運ばれなければならないのだ。

一度骨髄で作られた血液が120日間身体の中を旅して、脾臓で破壊される。とんでもない長い道のりである。

平均10秒で心臓から末端にって戻ってくる。2mと考えて、一日86km120日で1万キロを超える。1/250mmのサイズでだ。つまり250万kmの旅をするのだ。

まだこの輸送におけるタンパク質や間質液の働きは分かられていない。しかし、哺乳類や鳥類は同じ「律(進化の過程で共有するルール)」の中で生きている。

僕が重視しているのは、そういう食べ物の持っている「水」を大事に持ってくうる調理のプロセスなのだ。皿の上に載っている食物の成分をいくら分析しても意味がない。

商品化された食事は「乾燥・抽出・濃縮」の工程を通り水分を飛ばす。

医学も栄養学も、皿の上の成分の分析しかしない。

レシピ情報の提供者たちは、毎日続けることなど考えてもいない。SNS でいいねを貰える一皿を作ることで終わっている。

後片付けを科学する

この記事に続きます。

私達は何から開放されたのだろうか

そして、なあぜ「今の人(家庭から開放された人々)」が毎日料理が作れないかと言うと、家庭から厨房という装置が消えたのだ。何世代にも受け継がれた、鍋や包丁、季節で繰り返される調理、僕はそれを研究している。

食事で人生に向き合おうとすることは重要だ。まずは一歩ずつ進む。

僕も見たことのない世界に向かっている。

石坂啓老人のえt

石坂啓さん(僕大好き) 安穏族(4)「その後のET」P194より

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注)その人とともに生きれなくなったときのことを考えよう

母は80歳の数年前に鍋を焦がすようになって調理をできなくなっていった。海苔の佃煮をオカズにご飯を食べていた。僕は新潟に事務所があって通い。忙しく気がつくのが遅かった。自宅に事務所をう移してから、母の食事を見た時驚いた。数年前までは天麩羅や煮付けや実に多くのお惣菜を作っていたのに全くできなくなっていたのだ。

父も運転が怪しくなって、買い物に行きづらくなったのも理由の一つだった。米に佃煮、何も入っていない味噌汁、時折スーパーのお惣菜、魚も焼けなくなていた。

そんな物食っていたら胃もおかしくなる。舌苔が真っ白で何種類もの薬を飲んで、便秘日常的であった。それから毎日魚を煮付けてヨーグルトをタップリと入れて、煮しめを作って持っていった。

2016年母はなくなって、その後5年間、毎日父と食事をした。父は背骨の圧迫骨折で動けなくなって、衰弱してなくなった。僕が同じ部屋に寝ていればよかったのだ。毎日のように悔しく思う。

二人は僕の人生を何度も救ってくれた。恩返しがしたかった。もっと生きていってほしかった。

最後に年を取るということの意味を教えてくれた。病気でも恥ずかしいことでもない。少し不便だけど、生きることは素晴らしいことなのだと教えてくれた。

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マユの食事も僕は毎日作る。ドックフードなど食べていたら生活習慣病になる。人と同じだ、生命に溢れた食事を作る。

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注)バランスが良ければいいという。

栄養学者や医師の言うバランスとは、三大栄養素の皿の上の比率を言う。これほど愚かなことはない。カロリーという燃やしたときの水温をアップする指標(身体の中では燃焼反応はない)で皿の上に何を並べるかを図るがこれが全く意味がない。

身体と言うコロニーは食事をした瞬間から代謝を繰り返す。例えば炭水化物はほぼすっべての人であっという間に「脂質」の様な他の物質に姿を変える。筋肉細胞の中でグリコーゲンと言う安定した物質に変わる。だから血糖値は下がる。僕はカレー一杯食べて300mg/dl以上の血糖値になる。それを病気と読んでいるのだ。

問題は、食事で食べたあとで変わった後どう使われているかということだ。しかし残念ながら、人の身体というコロニーの内側の代謝系はあまりにひとりひとり違う。

『その人がその人らしく生きる』というのは困難なことなのだ。医師は検査値の異常を修正するために薬を盛る。うつや統合失調症というのも検査値なのだということを忘れてはならない。


体調が良ければ、バランスが良いといい、検査値が悪くなればバランスが崩れているという。指示通りの食事を厳密にいしていても悪くなったら、運動が足りないという。

呆れ果てるほどの、万能なマジックワードなのだ。こういうのを詐欺という。ああ言えばこう言うなあと呆れるし、もし治療をしなかったらと言う姿が見えないから勝手なことを医師は言う。

注)「再生できない組織や臓器」の早すぎる「死」

心臓、脳、膵臓、腎臓、神経系(目鼻口耳を含む)、皮膚・粘膜、甲状腺、精巣、卵巣などは再生することがない。

これらの臓器は細胞の固く結びついたシートでくるまれている。外部の体液と切り離されて、組織特異性を維持しているのだ。毛細血管も「血液関門」と言う形で守られている。

医学はこれらの臓器や組織が破綻することを病気というが、お城の本丸が焼け落ちるようなものだ。大事なことは外堀が埋められる前に対応することなのだ。

外堀が埋められるというのは、食事に問題があり、検査値が異常になることを言う。組織を隔離して守っているシートが破れ、組織特異性が維持されなくなる。

最近は髄膜炎(脳をくるんでいる細胞のシート)が増えているという。それも、一般的な細菌(髄膜炎菌でない細菌による)が「髄膜」というシートを破って脳に侵入しているのだ。アルツハイマーや認知症の原因を脳における一般的な細菌が原因という切に僕は一票だ。

検査値が狂うのだ。検査値を魔法のように下げる薬を飲んだところで、戦には勝てない。

そして誰しもがいずれ死ぬ。しかし、そんな苦しい死に方は好まない。ゆっくりと全ての機能が落ちていき静かにあの世に生きたい。

髄膜炎菌は大規模な感染を引き起こすが、『B群レンサ球菌、大腸菌、黄色ブドウ球菌、リステリア菌、インフルエンザ菌、肺炎球菌、真菌(水虫)』なども髄膜炎を起こす。普通の細菌に対してもんだが起こるということは、その人の髄膜にトラブルが有るのだ。食事に問題があると医師は一切言わない。すべてを知っていて、薬を売ろうとしているのか、それとも馬鹿なのか。

僕は「馬鹿である方」に一票。

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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。