コロナに早くかかった方がいい。来年は1歳年取っているから重篤化リスクは増している。
専門家(商売人)委員会のウイルス観は30年昔のものだ。もはやウイルスを封じ込めるなどということは不可能だ。スエーデン・ブラジルの方法のほうが10年くらいのスパンで見たら絶対死者は少ない。今隔離していても、老人もいずれコロナと出会う。ワクチンや効果のある薬を待っていても無駄だ、リスクのほうが大きい。
肺炎の重篤化は「サイトカインストーム(自己免疫疾患)」であるのだから、コロナウイルスはきっかけにしか過ぎない。あたかもコロナウイルスが「口蹄疫、ツボカビ菌」などの致命的な症状ををもたらすマイクロバイオームの様に考えるのは間違えだ。コロナウイルスが「肺の細胞」を食い破っているようなイメージは間違えている。
アレルギーやアトピーのようにその人自身の内面に問題がある。自己免疫疾患というのは「商品化した食事」が生み出したコンディションの当たり前の反応だ。だから僕は食事を素材から作る。特定の栄養素の欠乏でも毒素の過剰でもない。身体というコロニーは食事に対して当たり前に反応して、それなりのコンディションを作る。コロニーの住人にとってはガンさえも自分のひとつの形でしか無い。
専門家は行政の占い師である(笑)
しかし、コロナを怪物に仕立て上げれば税金は使い放題だ。こうして国家は衰弱していく。今回の騒動で「専門家」を「行政」が選び、責任を押し付けれている姿が面白い。
「エジプト文明で生まれ発展した占星術、中世の神学論争」を見るようだ。狂った前提のもとに正確無比な理論を展開する。理論の展開は正確でも、そもそも「理論の根拠」が今までのウイルス学者の「狭い範囲の経験値」である。ますます結論は現実から離れていく。
スエーデンやブラジルを煙たがっている。どの国も比較されるのが恐ろしいのだ。感染症を封じ込められないことがはっきりしたのにまだ封じ込めの政策を取ることはどう考えてもおかしい。「行政の無誤謬」が一番の脅威だ。コロナより怖い。第二波などと言うが、どれだけ感染が広がっているかもわからないのに第一も第二も意味がない。
無論、その時に見えているものに縛られるのは科学も一緒だ。しかし、新たな観察も含め合理的な説明と未来の予想が出来るかで「論」は試される。
遺伝子解析が生んだ病
CPR検査は1990年代からの技術で「検体内のDNA・RNAの破片」を拾い集め、つなげて検体の生命を予想する。シュレッダーの刻んだ紙から元の書類を復元するようなものだ。win95の時代によくまあこんな事できたものだ。2000年にヒトゲノムを解析した技術だ。僕はこの技術がPCを押し上げたげた動力でもあったと思う。
とにかくこの時代(1990年〜)のDNAを操りタンパク質(酵素と言われる)を作る技術(遺伝子操作による創薬)は私たちによく効く薬を与え、企業に金をもたらせた。誰でも苦しいのは嫌いだ。薬で楽になれるなら喜んで買う。何種類もの薬を飲みながら検査値を正常にする。
そして、病気(検査値の異常)にかかる自由を奪い、苦しみながら死ぬ老後を与えた。
ゲノム解析の生んだ様々な技術によって、それまでは好気環境のシャーレで存在を確認できなかった生命(細菌やウイルス=マイクロバイオーム)がいかに世界にあふれているかが分かった。血液内や皮膚の表面・粘膜の中からマイクロバイオームは見つかり、僕らの腸内には突然善玉菌や悪玉菌があふれかえることになる。
僕のマイクロバイオーム論
身体というコロニーでは「自分細胞(受精卵に由来するDNA)」とそれ以外の「マイクロバイオーム(細菌やウイルス」が共存していることは、もう当たり前だ。
粘膜はものすごい数のウイルスや細菌を身体に受け入れているし、受け入れられた細菌は血流に乗ってあっという間に身体を移動する。10秒で2メートルというと遅いように感じるけど1/250ミリ(赤血球の直径)のスケールに治すとマッハを超える。
抗体は、肺の粘膜や身体の中で、「偶然」白血球とマイクロバイオームが遭遇した時に、タイミングが良ければできるだけ。だから抗体検査も意味がない。抗体はできない場合が圧倒的だ(逆にできるからサイトカインストームが起こる)。
よく知ってみれば、このウイルスはさほど悪いやつではない(笑)。
血液は、腸肝循環でから大量の胆汁に入って十二指腸に吐き出され、腸を経由してっ肝臓に戻る。細菌自身も再吸収されるか、そのまま肛門までいく。喉のスワイプだけでなく肛門のスワイプでも見つかているのはそのせい。
感染症を起こさないマイクロバイオームがほとんどだ。感染症はその人に固有の問題なのだ。その時のコンディションで症状は現れる。花粉症やアレルギーを考えればわかる。
症状はマイクロバイオームが起こすのではない。無症状感染の方がノーマルなのだ。
人の身体の中のマイクロバイオームの重さを1.5kgと試算した研究者がいる。魂の重さだ。生命という乗り物は「マイクロバイオーム」があやつている。だから、いくらセックスを自粛要請をしても、マイクロバイオームは隠れてさせる。不倫も自習養成しないといけない。
マスク騒動を考える
マスク騒動は面白い。非イスラム圏では、イスラムの服装コード(女性の髪と顔を隠す服装)をおかしいという。効率的ではないから、女性を貶めるからという迷信だという。しかし、服装が問題の本質ではない。その服装というコードを守ることで一員になるコミュニティのルールにこそ問題の本質はある。
僕はマスクも同じだとは考える。マスクに関して議論がされている。果たして効果があるのか無いのか?しかし、それは意味がない。マスクを有無に関わらず私達はセックスをするし人と触れ合う、食事も止めることは出来ない。感染はマスクをしていれば防げるという問題ではない。
マスクをするしないというのが「信仰=コミュニティへの参加宣言」の表現していると考えれば、この「ヒステリックな議論にも」合理的な説明がつく。ヒトという「コミュニティ」で生きる生き物は「コミュニティ」の内において生まれる信頼の中でしか生きれない。
権威(国家)は信仰(法)を強制する。宗教(行政)は社会に生まれて余剰金を再分配するシステムである。「マスク」や「社会的距離」と言う分かりやすい「コード」を守ることで余剰金の分配を受けるのだ。私達はいま宗教が生まれる瞬間に立ち会っているのだ。
ワクチン・特効薬が私達を殺す
ワクチンは消毒薬ではない。ウイルスに対しての薬は悪い害虫を殺すようなわけではない(笑)。
細胞に対して膜タンパク(受容体)にピッタリハマり、外からの侵入を防いだり、ウイルスのトリガー(膜タンパクで細胞に結びつく)に蓋をかぶせるタンパク質だ。最近では細胞内部の代謝系を狙い撃つするタイプも有る。
しかし、問題は身体の中のどこで同じタンパク質が使われているかわからないということだ。薬は体内に入った時に全身に蔓延する。全身の他の場所でも当たり前に作用する。そしてその作用が「症状」を発生させた時に私達は副作用という。
細胞にとっては「正」も「副」もない。よく効く薬に対しての当たり前の反応なのだ。
厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。