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幸運な病のレシピ:「梅干し」 偉大なる発酵食品。僕の梅干し修行。

ネットでは梅干しは単なる塩漬だと言う人が多い。しかし、それは違う。実際に作ってみればわかる。塩漬にしている時に白い膜があるのだ。「産膜酵母」デバリオマイセス属で、高塩・耐酸性酵母だ。そして出来上がった梅干しは、時間が経つとどんどん味に深みが出てくる。

一回俺の作った梅干し食ってみな、そこらの梅干なんて食えたもんじゃない(手前梅干自慢)。

50歳の年に僕は母に梅干し作りを習った。母は、若い頃友達の農家の人に習ったと聞いた。梅干し作り(土用干し)は会社に勤めていてはできない(笑)。僕は運がいい、母に教えてもらえた。

「梅干しを漬ける」をyoutubeで見る
「梅が紫蘇に漬かりつつある。母の梅干つくり。」をyoutubeで見る

梅干しの味ってなんだろうか

栄養学の本で「梅干しの解説」を見ると、クエン酸の酸っぱさと塩の塩っぱさと書かれている。医学の分析などその程度である。それ以外は何もないのだろうか?

僕は、自分で作った梅干しを食べてしょっぱいとは感じない。少なくとも塩をなめたときとは全く違った味わいがする。酸っぱいというのも「酢を舐めたときのような酸っぱさは感じない。

発酵というのは、腐敗と同じ現象を別な観点から言っているだけだ。細胞生命が自分の中に外部を取り込んで自分に帰るプロセスのひとつなのだ。そう考えれば、「食事」と何ら変わりない。食べたものは小腸から吸収されて、身体というコロニーの海に流れ込む。そして細胞に取り込まれるのだ。梅干しは何年も僕の家の台所にいる。同じ空気下、同じ食物連鎖の環境のもとで僕と共に生きているのだ。

僕はこの梅干しを少しずつっ食べながら焼酎を飲むのが大好きだ。父と食事をしていると梅干しをとても喜ぶ。ご飯を食べ終わってもう一つほしいということも有る。とにかく旨いのだ。

僕は梅干しには生命が宿っていると思う。この梅干しの中には何千万というマイクロバイオーム(森羅万象の神々)がいる。僕の体内に入ってきて様々な役割を果たす。食事は「延長された自分」なのだ。医学が分析する僅かな栄養素だけで出来ているわけではない。

名称未設定

どうだ、食いたくなっただろうや!


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ここから下は2019年の梅干し作り。

母はもう居ない。父の姿も見えるが、今年はもう居ない。


土用干しのあとの本付け

土用干しをした最後の日は夜露に当てる、露をまとったままに本漬けに入る。

明日の用意のために入れ物を空ける

母が亡くなったときに家を整理したら「申年の梅干し」がでてきた。古いコーヒーの瓶に入っていた。2015年が申年だったと思うから、直近で2003年の梅干しである。緑の蓋の瓶入入っている。 黄色い蓋の瓶に入っているのは2015年だ。母と漬けた最後の梅干し。赤い蓋がはいつだろうか?その前だと思う。 白い入れ物に入っているのが紀州で習った着け方(紫蘇を使わないで梅酢を捨てる 2017年だった)

毎日、天日に当てては梅酢に戻すのを繰り返す





紫蘇と合わせる

上がってきた梅酢を紫蘇の方に入れて漬け込む。土用の丑の日に合わせてから干しだす。梅干しに紫蘇をいつぐらいに合わせているだろうかよくわからないなあ(笑)。まあ、その辺は適当に。

紫蘇をもんで、最初の黒い汁を捨てる

揉むと真っ黒い汁が出てくるので捨てる。
買ってきた紫蘇を選別して、揉む。とても面倒な工程だ。梅の代金より紫蘇の代金のほうがかかると母はいつも嘆いていた。

父は、毎年の梅干しを楽しみにしていた

気が早いからもう食べだしている。塩漬けが始まっているのだ。

梅干しになる梅を一晩いて洗う

洗いの工程はいらないという人もいるようだ。マユと洗っている、塩につけて重しるする所まで。

一番めんどくさい、蚊に食われて大騒ぎになる


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こちらのサイトをご覧ください。僕が産膜酵母のことを知ったのはこちらです。美味しそうですね。

こちらのブログにも発酵食品だと載っています。

googleさんで検索すると「発酵ではない」と出てきます。

まいったねえ。

梅や容器を殺菌することを推奨する人も多い。これって、わざわざ発酵食品を殺している。発酵は当たり前に僕らの身の回りに起こっていることなのだ。殺菌は僕ら自身も殺しているのだ。

ピロリ菌と言う菌の発酵工程が胃がんを生むという。ピロリ菌を殺したあとの焼け野原には、別な菌が生息を始める。自然は真空を嫌うのだ。ピロリ菌がいなくなったヒトに食道がんが多いと何かで読んだ(要出典)。「悪玉ー善玉」で世界(マイクロバイオーム)を分けるのは止めたほうがいい。良いことはなにもない。

食べ物を置いておけば腐り始める。発酵と腐敗に分けるのは大きな間違いだ。私達のような生命の細胞は細胞の内側に代謝系を持つ。細菌生命は外側に値斜頸を持つ。ウイルスは他の細胞の内側に委託するのだ。その違いでしかない。消化というプロセスも「発酵・腐敗」とさほどの違いはない。

もしウイルスを「生命でない」と言うならば、必須栄養素を他の生命の代謝に依存しているヒトも生命ではない事になる(笑)。

マイクロバイオームからみた世界は面白い。


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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。